魅力再発見!!【Mahoramatic Non-fiction】対談企画「後編」5枚のEPとアルバムは何をもたらし、何処へ向かうのか

 長らくお待たせいたしました。それでは対談企画の後編です。Mahoramatic Non-fictionの制作の裏側から、これから先の計画とその思いまで大いに語っています。

 

 Mahoramatic Non-fictionの魅力再発見として始めた対談企画ですが、最終回は1万字超えの内容となりました。次回以降のEPを対談企画でより的を絞ってしっかり伝えるために、現在の戦略と展望を今回の内容に入れる事となりました。今現在の活動が何処に向かっているのかを理解する重要な内容となっているので、どうか最後までお読み頂けると嬉しいです。

 

 あなたとわたしの「圧倒的未来のための関係性」を紡ぐための戦略を惜しみなく公開しています。

 

 

前編・中編をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

glowdefectivesoldier.hatenablog.com

glowdefectivesoldier.hatenablog.com

 

 

 

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―さて、中編を挟んでの後半です。よろしくお願いします。前編ではMahoramatic Non-fictionそのものの成り立ち。中編ではMahoramatic Non-fictionの音楽性に辿り着くまでのバックボーンを掘り下げました。後編ではMahoramatic Non-fictionを制作した上で、どのように世界と向き合うべきなのか、今後5枚綴りのEPとして派生していく背景にも迫っていきたいと思います。

 

 

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グラフィックデザイナー城台(以下、グラ城):昨年の11月に書いたブログでも一部書きましたが、フォトコラージュアーティストとして世に出た時、自分の写真だけで構成するコラージュ作品という「徹底した自己世界」で評価を受けました。それが自分の強みであると認識して突き進んでいきました。しかしやがてその枠の中でやっていくことで自分が本来進みたかった方向とのズレを感じてしまいました。

 

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ーここでは省きますが、紆余曲折あって料理の道に進みながら、もう一度作るべきものが出来たために、再度足を止めていた道に戻ってくることになります。

 

グラ城:はい。再びこの道に戻ってくるには、3年半というブランクはとても大きなものでした。今もそれを痛感する毎日です。でも全てをリセットするには必要な時間だったのかも知れません。EPのアートワークを見てくれた人達は、これまでのコラージュ作品との変化に対してポジティブな反応を返してくれました。やはりいきなり路線を変更すると困惑するのかもしれません。そしてこの道は正しいと今誰よりも自分が信じています。

 

常に予算との戦いでした。ずっとお金のことばかり考えて活動していました。出たいイベントも予算が付かずに見送る事ばかりでした。正直、出たいイベントではなく、出れるイベントにしか出ていなかったように思います。

 

―「そうするのが当たり前」という常識が以前の活動に非効率を生んだともありましたね。そこを詳しくお願いします。以前は何に苦しめられたのか、どうありたかったのか、これからはどうして行くのか。

 

グラ城:まず作品を出力して、それを額縁に入れるというのも非常にコストがかかりました。客観的に見て、そうした方が作品の見栄えも上がるし、それを展示したときの達成感は特別なものでした。それ自体は今も否定しません。この作品にはどのフレームを合わせると映えるのか、マットは使うのか、それの色はどうしようかとか。やっていると楽しいんです。

 

でも達成感を感じるのはもっと先の、その作品を見た人がどのような影響を受けるのか、それが社会の何処に反映されるのか、それは自分にどう還って来るのか、そこまでの導線をきっちりデザインしないといけないと思ってはいました。

 

作品の出力も当時はジークレープリントにこだわっていました。PCで作るので彩度や解像度を上げてクオリティを徹底的に上げていました。他の媒体で派生させるにしても、基本というか、「原画」に等しい絶対的オリジンが必要だと思っていました。

 

 

2013年2月個展『Utopian Dystopia@IAF Shop*』より

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www.graphic.jp

 

当時はアルバイトで生計を立てながらだったので、元々少ない活動費をさらに圧縮した状態で作品発表をしていました。正直フットワークは重かったですね。常に予算との戦いでした。ずっとお金のことばかり考えて活動していました。出たいイベントも予算が付かずに見送る事ばかりでした。正直、出たいイベントではなく、出れるイベントにしか出ていなかったように思います。こういう例えはよくないかもしれませんが、「遠くの100万円より近くの100円」に目を向けるような日々でした。借金をする勇気もないし、気兼ねなく貸してくれる友人もいませんでした。そもそも来月や1年とかでそれを返せる見込みも、まるでありませんでした。単純に覚悟が足りなかっただけなんですが。

 

―そうして一線から退く経験を経たがゆえに、ブログやtwitterでは、ただ作品を作ること、それを展示するだけを作品発表と言っているのでは死んでしまう、と言うようになったんですね。これを言ってるのは私なんですが。

 

コンポーザー城台(以下、コン城):以前の活動ではまず「金にならない」という理由で私切り捨てられてるんですけどね(笑)

 

圧倒的な分量の広告と宣伝をすることによって、ようやく地道やマイペースな活動で想定していた需要に辿り着けると。本来あった共通幻想があまりにも牧歌的過ぎたんです。

 

―それでも楽曲のアイデアやアルバムのアイデアは、それに抗うかのようにいくつも出てきていましたよね。体が頭に追いつかなかったのでそれはほとんどボツになってしまいました。

 

グラ城:作品発表と作品コンセプト、展示コンセプトを延々ブログに書いてきました。しかし今のように活動していく上での戦略なんかは何も語ってきませんでした。でも作品を作り続けることを美徳としても何にもならない。そこからは降りないといけない。いつ作品が作れなくなるかわからない。だからその思考で作品を作り続けるのは浪費と疲弊でしかないと思い至りました。

 

コンスタントに作品を生産してそれを発表する。それは「地道」や「マイペース」という美徳に絡む話しですが、圧倒的な分量の広告と宣伝をすることによって、ようやく地道やマイペースな活動で想定していた需要に辿り着けると。本来あった共通幻想があまりにも牧歌的過ぎたんです。

 

それにまんまと乗っかっていた甘えた自分にも愕然としました。そこから一歩進んだ動きは、外の世界ではまだ家の庭先に出た程度でした。駅やバス停にも着いてなかったんです。繁華街はもっと遠くにありました。誰もいない場所で一人ものを作っていた時代、そこから一歩出て、出会った人に作品を褒められた。そこである種満足してしまっていたんです。

 

コンポーザー城台(以下、コン城):実は純粋に生まれていた楽曲やアルバムのアイデア、もっと違う方向性で作りたいデザインやアートワーク、それらを意識的に止めた上で、一番時間がかかる「自身で撮影した写真のみを使用したフォトコラージュ作品の制作」プラス「ジークレープリントでの出力と高価な額縁の使用」という「あるべき姿」を言ってみれば演じていたわけですね。

 

グラ城:ブランクの3年半に起こった事の全てを否定してはいません。その時間に得たものは大きいと思っています。そこで得た事を全てこれからの活動に反映させていくつもりです。

 

まぁでも、その間にはずっと悔しさみたいなものはありました。急に自分が「蚊帳の外」にいる感覚があって、変わらず活動を続けている人達が少しずつ芽が出て前に進んでいく状況、どんどん面白くなっていくエンタメ情勢、そこにどうにか喰い込みたい自分がいたのは確かでした。

 

とりわけ大きな事件となったのは、このブログにも度々顔を出すTHE BACK HORNというバンドですね。20周年のベスト盤「BEST THE BACK HORNⅡ」が2017年に出ました。

 

BEST THE BACK HORN II(TYPE-A)

BEST THE BACK HORN II(TYPE-A)

 

 

このバンドの最初のベスト盤のジャケットが「流木を用いたアート作品」で出来ていました。その後にB面集が発表され、そのジャケットが「廃材を用いたアート作品」でした。

 

BEST THE BACK HORN

BEST THE BACK HORN

 
B-SIDE THE BACK HORN

B-SIDE THE BACK HORN

 

 

10周年、15周年とリリースされてきた節目のアルバムに対して、勝手に思っていたことがありました。

 

20周年のベストアルバムのジャケットは「光る泥」だ!!

 

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これ本当に思い込んでいたんです。ある時期までは。でも結局このアプローチをバンド側に投げかける事なく活動停止してしまいました。その気持ちを薄々引きづりながらバンドを追いかけていたときにベストⅡのジャケットが公開されました。

 

BEST THE BACK HORN II(TYPE-A)

BEST THE BACK HORN II(TYPE-A)

 

 

その瞬間は刻銘に憶えています。LINEで通知が来て、携帯を持ったまま固まってしまいました。

 

―ここに来てまさかのコラージュ。しかも陰影がくっきりした中で「光」を強調した構成。

 

グラ城:もし自分が積極的にアプローチをかけていたらどうなっていたか。実際には何もしなかったからこそ、後から後から蝕まれていきました。断られていれば諦めもつきますが。やった後の後悔よりも、やらなかった後悔の方が深く残るという事を痛感した瞬間でした。

 

制作費も出展費もアルバイトという経済活動の成果・報酬によってもたらされた消費行動だった

 

―ライブペイントから派生した作品も、独自の技法で生み出したものであり、自分がやらないと誰もそれを先には進めてくれない。自分が足を止める事で止まってしまう可能性の存在に気付いた。

 

コン城:生み出す作品そのものを擬人化して、生み出すことに需要があると錯覚してしまうというのはよくあります。実際、作品は物です。彼等に消費行動は不可能ですから、生み出すことで経済的恩恵は発生しない。そしてこれまでの活動は城台に経済的成功はなかった。当然ですね。

 

そもそもお金(給与や報酬)というのは、その社会貢献に対する可処分所得であるとした考え方が出来るわけです。みんなで回している社会・経済ですから、「あなたは『今月これだけの貢献』をして下さったので、『社会全体からこれだけの消費を行えます』」という構造になっているわけですよね。

 

それに見合わなかったこれまでの活動。残酷な考え方ですが、制作費も出展費もアルバイトという経済活動の成果・報酬によってもたらされた消費行動だったといえるわけですね。

 

自分の能力以上の高い次元に自分を持っていけた昇天レベルのカタルシスがそこにはあります。それこそが本当の自己満足であり自己肯定です。

 

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 ―冷静に考えて、突拍子もないアイデアは既存のフォーマットから逸脱しすぎていて、橋渡しが出来ていない。重要なのはグラデーションのように徐々に変革を行う事で、初めて人々の心を動かせる。一見、満足されているように見えるサービスに「ちょっとした違和感や使いづらさ」といった痒いところに手が届くアイデアこそが、革新のある正しい次のステップの踏み方なのだろうと。つまりはニーズを把握し、確実に掴むということですね。

 

コン城:Mahoramatic Non-fictionではそれが可能になると。

 

グラ城:そう。厳密には5枚のEPとその先のアルバムによって可能になる。という方が正しいでしょう。

 

宅録で音楽を制作する人の多くはこれまで、各楽器メーカーの製品を購入して利用するいわば消費者だったんです。これは断定しておきます。そして各配信サービスやSNSを利用する拡散力のサイレントマジョリティだったと。

 

ライブや演奏を行うアウトドア派と、宅録で音楽を制作するインドア派の決定的な違いは「発信」と「没入」にあります。

 

発信のカタルシスは強い拡散力を得た瞬間に起こります。外向きの開放感によって威力を発揮するといっていいでしょう。

 

没入のカタルシスはとにかく内に向かうことです。そして特異点にぶつかり裏返る瞬間があります。これが没入のカタルシスです。徹底的に自己と向き合い、暗い底の底まで潜った先で光を見出す。裏側に飛び出すといってもいいでしょう。

 

コン城:なるほど。あまり考えてはきませんでしたが、普通のバンドだと、一人が曲を持ってきてバンドでアレンジを加える、もしくはセッションで曲を作り上げていく。それに比べて、宅録は全て一人。アレンジも展開も全て一人だと、のめり込む没入感というのは人一倍深いかもしれません。というかそうしないと、そうする事でしか作品は完成しないという、デメリットでもありますね。スピード感がないというか。

 

グラ城:はい、そこです。没入のカタルシスは音楽市場において、認知レベルはまだまだ低いと踏んでいます。そして没入によって、作った作品の発信に時間が割けないわけです。バンドであれば少なくても2人以上であればプロデュースもプロモーションも分散できます。また、アイデアも2倍。そしてここが重要です。制作費・活動費が2倍です。これはメンバーが多ければ多いほど加算されます。

 

一人で制作すると全ての機材は一人で実費全負担です。しかし自分がギタリストだったとして、バンドの活動が上手くいけばベースの機材のレベルアップは相方がしてくれるわけです。こっちはギターのレベルアップに努めればいいわけです。

 

コン城:それを一人でやっていたわけですね。確かに機材のレベルアップの部分だけとってもこれまで中途半端なことしか出来ていませんでした。

 

「行動アート」が城台の強みなのかもしれません。一番評価されて誰かの身になる活動はそこなのかもしれない

 

グラ城:重要なのはのめり込む深さですね。袋小路になって出れなくなっている人は多いはずです。そしてその深度が深いほど市場に出ていない。もしくは見向きもされていない。この潜在的な可能性は認知されるべきだし、面白いストーリーが内包されています。今の自分のように、ただの自己肯定に付随する自己満足に終わらず、慰めや赦しではなく、自分の能力以上の高い次元に自分を持っていけた昇天レベルのカタルシスがそこにはあります。それこそが本当の自己満足であり自己肯定です。

 

Mahoramatic Non-fictionは当初、その観点で制作されたものではない。けれどもそこから漏れた曲が次のEPのDramasochistic Bon-voyageに引き継がれた。この2点の変化と移動に理由付けをしていった結果、AIDMAtic~Garapagositic~Bugfarewelltic~とストーリーが出来上がりました。

 

そのコンセプトは「暗がりの中で生きて来た男が、陽の当たる場所に出て歩みを始める」というものになりました。それは以前制作した2枚のアルバムのコンセプト、社会に対する「警鐘」と「自虐」の次のステップになります。そうした社会情勢というか事実を肯定した上で、自分はどう生きるのか。何が出来るのか。これからの人生において、この一連の流れはしっかり形にして世に出すべきだと思いました。

 

ただ、ここまで言ってきた流れがあります。城台の音楽は既存のフォーマットで発表しても機能しません。音源を制作し、ライブやツアーで演奏をして周るという事が出来ない。ここでやるべきは、音楽に別の役割を与える必要があると考えました。

 

音楽を主役にしてはならない。アイデアの源泉や根源である事は間違いありませんが、城台の強みは「突発的な行動力」です。面と向かって人とコミュニケーションが困難な城台が相手に誠意を示したい一心で起こしたアクションで、功を奏してきたものでした。音楽を作って音楽そのものを売り込んでもダメで、音楽を介して届けたいものが「音楽の新しい流通経路」や「活動そのものの心意気」であるとしたいと思っています。良くも悪くも「行動アート」が城台の強みなのかもしれません。一番評価されて誰かの身になる活動はそこなのかもしれないと。

 

―音楽は衝動的に生まれた純粋なアートでありながら、その純粋さを失わずに発信を行うための手段として、グラフィックデザイナーという顔が存在する。そんな関係性が見えますね。

 

グラ城:よくよく考えると、音楽に関しては相手の意見をあまり求めてはいませんでした。しかしグラフィックデザイナーやフォトコラージュアーティストとしての顔の時は凄く人の意見が気になりました。そしてそれを欲していました。それはニーズであったり、お題という方向性ですね。それを叶えたかった。解消したかった。

 

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5枚のEPとその後のアルバムは城台 宏典の生涯における代表作になります。

 

―ライブペインターとしての顔も「絵描き」というよりは「行動アート」というか、自分自身を知ってもらう手段でそこから派生したものでしたね。やはり難しいのは「アート」「アーティスト」という言葉の概念を人それぞれが持っていて、そのギャップから、もう一歩踏み込んできてもらえないもどかしさがありましたね。

 

グラ城:ライブペインターのときは、先を行き過ぎたと思っています。それこそさっきのグラデーションの話しですが、突拍子もなさ過ぎてお客さんが渡る橋を架けていなかったんです。

 

そして今回のプロジェクトですが、戦略も全て公開しています。これは誰でも流用可能な方法である事を告げるためのものです。そして何より、ここを透明化することで、CD無料配布が後にどうなるのかの疑問解消になります。やはり「無料」の先にどこで料金を回収するのかが明確でなければなりません。タダより怖いものはない。その先入観を払拭する必要があります。むしろ義務だと思っています。

 

なので、クラウドファンディングを行うと早い段階から公言しておく必要がありました。活動内容の成功と失敗を可視化して、後続の人達に少しでも役立つ智恵と道筋を置いていきたいと考えているからです。

 

また、今回のプロジェクトでダイレクトに関わるのは「宅録ミュージシャン」ですが、全ての作家・アーティストに応用可能なものになると踏んでいます。

 

コン城:宅録ミュージシャンという枠においての特徴は、社会のニーズに直結しない形で自身のニーズを徹底的に掘り下げる点にあります。自分はMIDIケーブルなどPCに直結した機材の扱いが出来なくて、デジタル機材でもアナログ使用をしています。これは説明するのが難しいのですが...。

 

さらに「初音ミク」のような「共通言語」や「待ち合わせ場所」を活用する術も意識も持っていませんでした。ただひたすらバンドを組みたい、バンドサウンドに憧れた経緯で、とにかく一人でやり続けた。サウンド自体はとても非効率なものです。しかしそこに込めた情報量は他の音楽とは一線を画するものになっています。

 

自己満足であり自己肯定というのはいいですね。そして音楽を主役にしていては城台の音楽は機能しないというのは身につまされる思いです。

 

音楽を主役にしてしまうとどうしても0か100の世界になってしまいがちです。しかし宅録コンポーザーとしては音楽を完成させた時点である意味目的は達成されています。それをグラフィックデザイナーに投げて、それをどう随伴的な付加価値を見出していけるのか。

 

端から既存のルールで勝負しない。上から投下するのではなく、横や下から投げかけるというのはいいかもしれません。音楽は聴いてもらえるその瞬間があればいいので、比重は10でも20でも構いません。グラフィックデザインや、発信・拡散戦略という行動アートが残りの80や90を担ってくれればいい。

 

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」ですね。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず - 故事ことわざ辞典

 

グラ城:そうですね。持てる力を掛け合わせて全部で100にする。アルバムを制作した後に、グラフィックデザイナーとして起業します。そう公言しています。5枚のEPのタイトルはその企業理念になります。これは活動を続けていった結果閃いた答えです。その瞬間、そこに収録される音楽の意味や役割が見えてきました。

 

音楽そのものが商品ではない。これまで音楽という商品に対してパッケージデザインが施されていた。しかし逆に「デザイナーの興す会社の理念にある言葉を説得力のあるものにするために音楽が用いられる」そうした新しい視点や価値観を見出す事に自分の役割を感じています。

 

自分の音楽を発信する。アルバムをCDにして完成ではない。音楽を主役にしていてはそこで終わってしまう。その先を提示しなければならない。提示したいその先の足掛かりとして、意志を具現化したものを一つの形にする。

 

コン城:なんとしてでも創作人として生きて生きたい人間の本能が導き出したサバイバル術ですね。人々に衝撃を与える「何か」は作品そのものではなくて「道」に見出したと。雑草魂とゴキブリの生態を取り入れてますね。しぶとい。

 

グラ城:トカゲの遺伝子と不死鳥の生き血を手に入れたんです。

 

コン城:そのネタ誰も分かりませんよ(笑)

 

―2ndアルバム「PANDEMONIUM PANDEMIC」のコンセプト・リリックの一部ですね。この辺の詩は本当にぶっ壊れていて気に入っています。もうお蔵入りですが。

 

 

PANDEMONIUM PANDEMICコンセプト・リリックの一部抜粋

物欲しそうな素振りすら見せない空腹の山羊

レアメタルで出来た車椅子に跨る石像の様な鰐

蝙蝠の排尿を飲み干す乾燥したシーラカンスは、飄々とエイズを大海へと撒き散らす

強引に愛撫された雌鯨は豪快に潮を巻き上げ、狒々を喰う獅子を喰らう鷹はその飛沫を全身に浴びる

空の無い風景と緑色に塗られた空の絵

群青色の果実は警告を発しながらも種子以外を食される

やがて解凍される種馬の精液はこの時の物だと言う事は後に判明する事実

人格者は当然の様にそれ等を敷物に詰め込み、

契約の条項に応じ、蜥蜴の遺伝子と不死鳥の生血を手に入れる

ヘラクレスの価値に群がる昆虫嫌いの気分屋共の咆哮が響き渡る

拒絶するお前だけが此処にいる

拒絶するお前こそが拒絶される

拒絶するお前だけが取り残される…

 

 

コン城:大丈夫です。近い将来報われます。5枚のEPとその後のアルバムは城台 宏典の生涯における代表作になります。そして興す会社の最初の製品になります。社会貢献の意欲を込めた言葉と楽曲、そしてパッケージデザインでグラフィックデザインというメイン事業・サービスを主役にして製品化させる。

 

さらにもう一つ。これを一人ではなく「みんなで作り上げる」という事。CDを無料配布しているのはその同志を募るためです。これはどうしても避けられないものです。新しく興味を持つ人は結果から判断します。その結果を分かりやすく計る手段が「数字」です。クラウドファンディングの支援者はブックレットの最後にSPTHX欄に名前を記載します。見せていく数字は時期によって移行していきます。

 

段階としては

①無料配布CDの配布枚数

クラウドファンディングの支援者数

③アルバムCDを届けた(販売)枚数

 

となります。無料配布CDは徹底的に手渡しで行います。ここは一人で行います。②からは一人ではどうしようもありません。誰かの助けが必要です。みんなの協力が必要です。 重要なのは支援額ではなく、支援者数です。

 

―これまで出来なかった事、やって来なかった事。それが需要を作り出す事、それを可視化させる事ですね。確かに恐怖ではあります。成功しなかった時、それも全て可視化されます。信用は地に落ち、自身の気持ち以上に、物理的に這い上がれない状況を作ってしまいかねない。

 

コン城:一回こっきりの大勝負。生涯の代表作で新興企業の主力製品。セーフティネットもないラストチャンス。ハイリスク過ぎますが、それこそ「行動アート」の真価が問われる絶好の機会です。

 

 

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 ―EPタイトルを企業理念にしたときの内容を、分かりやすく漢字2文字で表したものがあります。まだ変更の可能性はありますが、現段階では「自覚」「熱狂」「邁進」「確証」「共鳴」となっています。

 

グラ城:Mahoramatic Non-fictionは「自覚」になります。5枚目のBugfarewelltic Sun-Risesに辿り着いた時、そこからもう一度旅が再スタートする。「共鳴」の後にもう一度「自覚」に帰って来る。そこでまた自分の弱さと向き合いDramasochistic Bon-voyageの「熱狂」、取り戻した熱を胸にAIDMAtic live Rain-bowの「邁進」、そこで得た学びや知恵が個性に変わるGarapagositic Lupin-keyの「確証」、抉じ開けた先で迎える夜明け。人生はこの繰り返しなんだという意味を込めています。

 

全ての始まりであり終わり。そして再出発のスタートライン。この一年でMahoramatic Non-fictionの意味は増幅していきました。長くなりましたがこれがMahoramatic Non-fictionの現時点の全てです。

 

―ありがとうございます。最後に、前に進む事の意欲をここまで強固なコンセプトに落とし込めた背景についてお願いします。

 

グラ城:はい。それは最初にあったTHE BACK HORN、さらにもう一つのバンド9mm Parabellum Bulletの活動を追いかけての共感が大きいかもしれません。

 

この2バンドは中編にもありました、高校・大学時代にTHE MARS VOLTASYSTEM OF A DOWNと平行して追いかけていたバンドでした。経緯は省略しますが、この両バンドが停滞し、ソロ活動も停滞していったときに、それに代わる追いかける対象になりました。

 

THE MARS VOLTATHE BACK HORN

SYSTEM OF A DOWN9mm Parabellum Bullet

 

という感じです。TMVとTBHには個人的に共通点があり、バンドとしてしっかり機能しているにも関わらず、それ以外のジャンルや音色を積極的に取り入れる点、ライブパフォーマンスがメチャクチャ(これはこの4バンド全部に言えるが、系統が近い)。

 


The Mars Volta at Vegoose 2006


THE BACK HORN アカイヤミ

 

またSOADと9mmは自国のメロディに造詣が深く、自身のロックそのものに取り込む傾向にある。TMVとTBHは色を足す。混ざり合っているのではなく絡み合っている。複数の色を持っているといった方がいいでしょうか。非常にカラフル。SOADと9mmは独自の色その一色だけなんです。混ぜて混ぜて何処にもない別の色になっている。よく分からないけど綺麗な色。

 


i-e-a-i-a-i-o by system of a down with lyrics


9mm Parabellum Bullet - シベリアンバード 〜涙の渡り鳥〜

 

 

TMVとSOADは大学時代の音楽性に強烈なインパクトを受けました。社会と自身の関係性にスポットを当てるきっかけになり、それに呪術的な抽象表現によって真理を追究する。これが過去の私です。今も根底に生き続けている柱です。

 

そしてTBHと9mmを追いかけるようになり、彼等のアルバム・シングル・DVDを総なめした時に気付いた共通点は、どちらも活動を続けていく中で「荒涼とした世界を俯瞰する視点から、それを肯定した上でどう生きるのかの視点」に変化していくのに気付きました。

 


THE BACK HORN - 世界樹の下で Sekaiju no Shita de

 

↓↓↓10数年経って...

 


THE BACK HORN - シンフォニア Live at 日本武道館 in 2013

 

 

 


9mm Parabellum Bullet - The World (live)

 

↓↓↓約10年経って...

 


9mm Parabellum Bullet - 反逆のマーチ

 

 

この追いかける対象が移行したのが2013年です。ちょうどライブペイントを始めようとしていた時期で、自分の活動が社会貢献や人々の心に火をつける役割でありたいと思うようになっていた時期でした。そのときの心象模様に見事に直結したのがTBHと9mmでした。

 

荒涼とした世界を俯瞰する視点から、それを肯定した上でどう生きるのかの視点」この変化は城台自身に置き換えても、すっぽりとはまるんです。海外にばかり目を向けて、国内にこんなぴったりなバンドがいたなんて。しかもそれなりに追いかけていたつもり。灯台下暗しの盲点。その反動か当時入り込み方が凄かった。

 

コン城:没入や自己投影はこういうところからも養われましたね。狭く深くで、あんまり興味の対象が広がることはないけど、好きなバンドに惚れ込んだらとことん行くみたいな。

 

グラ城:没入や自己投影は城台が人生で唯一やってきた1万時間続けたものかも知れませんね。

 

これは人は1つの事に1万時間費やせば100人に1人の人材になれる。さらに別の分野で1万時間費やせば(100人に1人の人材×100人に1人の人材)1万人に1人の人材になれるという考え方ですね。

 

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

 

 

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没入力こそ自分の中で唯一の武器でしょう。これが根底にあって、そこから得たものがコンポーザーとグラフィックデザイナー像を作り上げ、枝葉になって作品という果実になる。これが城台の脳内構造なのかも知れません。

 

その上で「全員」ではなく「みんな」と表現する事、「同志100人を募る」という目標設定は自分の能力を理解したうえでの発言です。のめり込むために、深く接するために枠や数を限定しています。後々それがコアなコミュニティを形成する初めの一歩になると思っています。その人達への貢献は惜しみません。

 

―なるほど。この対談企画は対話方式の文章なので、普段のブログ記事等では出ない本音をうまく引き出して形にする事ができました。このMahoramatic Non-fictionの段階でまずこのプロジェクトの全体像を洗い出したのはいい体験でした。今後はこの内容を短く箇条書きに起こしてより明瞭な文章に変換していきます。

 

コン城&グラ城:ありがとうございました。

 

 

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―そういえば、このMahoramatic Non-fictionの対談企画でやっておかなければならない重要事項があるじゃないですか。

 

コン城&グラ城:バカヤロウ!!

 

―はい。Mahoramatic Non-fictionを最初にリリースして、暫くしてから個人的にある事をしましたね。

 

コン城:ダブプレート!!

 

グラ城:LPジャケット!!

 

―そう。対談企画の最後に、再度あの時の感動を取上げようではないかと思いまして。

 

グラ城:裏エンディングですね。完全にエンドロール終わった後に。

 

―アナログレコードを1枚から制作するサービスを行っているCUT&REC様にて制作したMahoramatic Non-fictionのLPレコードを作っていただいた際に、CUT &RECさんのサイトとSNSで紹介してもらえる運びとなりました。

 

cutnrec.com

 


Glow Defective Soldier / Mahoramatic Non-fiction

 

紹介文

Glow Defective Soldierさんが約7年振りに完成させた作品“Mahoramatic Non-fiction” をダブプレートに。20代最後となる節目の作品をカットさせていただき光栄です。色鮮やかでミステリアスなジャケットとアグレッシブなこのトラックが作り上げる世界観がたまりません。

 

SNS紹介ページ

https://twitter.com/cutnrec/status/987166564410523649

https://www.facebook.com/cutnrec/videos/1275720385894988/

https://www.instagram.com/p/BhxsezFFZl_/

 

 

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コン城:これはぶち上がりましたね。外部からこうして楽曲が評価されたのは初めてででした。

 

グラ城:そうですね。フォトコラージュアーティストの別の顔というか、労力だけは褒め称えられている感じで、なんだかなだったんですが、ここにきてようやく光が見えた瞬間でしたね。

 

コン城:しかもダブプレートは作業が完全手作業と思われます。実際の作業を含め、何度か聴いてますよね。その上でこうした形で紹介して頂けるというのは本当に嬉しいですね。「伝わったッ!!」という実感がありました。

 

動画で流す部分は完全にお任せしていたんですが、Jyagyawli Makcoledをチョイスしてもらいました。この3曲では妥当な選択と言えるでしょう。後の2曲がイヤッホイすぎるので。ただ、動画で流している部分はJyagyawli Makcoledで一番アガる部分だった点はとにかくガッツポーズでしたね。「そう!!そこッ!!」て(笑)。

 

グラ城:これをオーダーしたのは確か去年の4月だったので、まだほぼほぼ個人的な範囲での制作だったのですが、こうして今は人生を懸けた戦いを挑もうという状況の中で、最高の励みになります。Dramasochistic Bon-voyageも作ってもらっていて、AIDMAtic live Rain-bowは予算の都合でまだオーダー出来ていないのですが、EP5枚全てダブプレートをオーダーする予定なので楽しみです。

 

―改めましてCUT&REC様ありがとうございました。今なら何かを変えられる。そういった予感がヒシヒシと感じる今日この頃ですが、来月は絶望と苦悩の狭間で捻り出したDramasochistic Bon-voyageを深く掘り下げていきたいと思います。それではまた次回。

 

 

ほらま~(・∀・(・∀・(・∀・*)


Mahoramatic Non-fiction【CD無料配布実施中】&【FREE DOWNLOAD】

 

 

 


Mahoramatic Non-fiction

01.Jyagyawli Makcoled 5:28

02.Benthend Warrham 3:57

03.Leoryphan Vistavkifco 5:14

total time 14:41
Glow Defective Soldier Records 014

 

 

 FREE DOWNLOAD

glowdefectivesoldier.bandcamp.com

 

 

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来月はDramasochistic Bon-voyageを対談企画で掘り下げていきます。

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「CD無料配布とEP連続リリースによる今後の展望」Glow Defective Soldier 城台 宏典インタビュー

 


CD無料配布ページ

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ではでは。

 

 

 

ε(*´・∀・`)з゙βуёβуё”ε(´・∀・`*)з