AIDMAtic live Rain-bowのコンセプト・ストーリー

 今あるこの場所を守るんだ。痛みは伴うかもしれないが、全てを失った後ではもう遅い。生き延びるんだ。そのために必要な指標は揃っているんだ。進むんだ。道は存在しない。今から作るんだ。今ここから。上を向け。前を向け。何処に向かうのかを見据えろ。下を向いて道を作っても何処にも辿り着けない。上を向け。前を向け。見えるだろう。向こうには何が見える。そうだ。あれだ。


 お待たせいたしました。AIDMAtic live Rain-bowのコンセプト・ストーリーを書きました。例の如く長文となっております。最後までお読み頂けるとありがたいです。それではどうぞ。



これは「虹」を追う物語。



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 社会全体から見たら「手垢にまみれた成果」であったとしても、当の本人がそれを初めて手にしたのであれば、それは当人にとってとても価値のあるものだと思う。それは「手垢にまみれた成果」に対して新たな視点を生み出す。それは社会全体にとって「手垢にまみれた成果」ではなく、紛れもない「新しい価値」であるのだと思う。そしてそれは「手垢にまみれた成果」に組み込まれ、また新しい価値を内包する。社会は「手垢にまみれた成果」に新しい意義を手に入れる。発見である。


 「虹」って何だろうか。いつだったかは忘れたがそんな事を考えた事があった。虹だけに色々な答えがあると思う。子供のように「綺麗なもの」と感想を交えて説明する事もできる。または大人な考えとして、科学的な虹の発生条件やなんやらの説明。


 「虹」と「人生」を合わせて考えてみた。雨上がりに遠くに見える虹。上に書いたような二つの視点で考えてみる。大人の考えでいくと、虹は「今この場所から、あらゆる条件が重なった事で見える現象」であると。また子どもの考えでいくと「遠くに架かった七色の橋」。大人な考えを持つことによって想像力は失われていく。


 これは虹を中心とした考えです。そこには二つの立場が生まれる。前者は「今あるこの場所を大切にしよう」という考え。大人ですから、分かっているんです。虹は存在しない。そしてすぐに消えてしまう。刹那的に見えた虹の美しさに一時の安らぎを感じる。それでいいんです。何も間違っていない。正しいんです。しかしそれでは面白くない。


 子どもの考えは手がつけられない。子どもが子どもとして子どもの発想で言う分には可愛げがある。そして欲深い子はこう言うかもしれません。「あの虹をもっと近くで間近で見たい」「あの虹が欲しい」。しかしこの後者的な発想を子どもではなく、大人が持ってしまったら。人は笑うでしょう。静止させ咎めるでしょう。バカにするでしょう。そうですね。子どもの発想をする大人は「バカ」であるとしておきましょう。


 しかし考えてみて欲しい。人々は挑戦し、失敗し、成功してそれらを記録して語り継いだ事で文明は発展してきた。そうであるならば、前者としての考えは後者の失敗や成功の記録によって、知識として与えられたものだ。


 虹を掴みに行く。無謀な行動として映るでしょう。しかし当の本人は楽しくて仕方がありません。周りの説得は多少なりとも考えはしますが、自分の欲求がとにかく勝っています。欲しいのは虹です。そしてもう一つ。本当に虹を掴もうとする気持ちの裏で、手に入らないという「実感」も欲しているんです。失敗するという、知識としてはもう何の価値もありません。それは概念となって頭に染み付き、固定概念となって誰も再挑戦という選択を取らなくなります。


 しかし実感によって得られるものがあります。それは「智恵」です。未来のための。当事者にしか分からない事です。多くの人には行動と結果の2点しか伝わりません。しかしプロセスという「線」は当事者にしか得られない成果です。その時の思いや失敗の原因、試せなかった幾つかの方法、それをとらなかった理由などなど。そこで得られた「智恵」は社会において新しい価値であり意義のあるものであると私は思うのです。


 ここまで書けば、察しのいい方であればこれから書く内容が何となく予想できるかと思います。


 「虹」を欲っする事で手に入る成果、それこそが本作「AIDMAtic live Rain-bow」が語るべき内容となっています。それではまず、それぞれの言葉を分解していきます。


AIDMA」とはマーケティング用語です。「アイドマの法則」と言われています。消費者がある商品を知って購入に至るまでの段階プロセスのことを指しています。。
Attention(注意)Interest(関心)Desire(欲求)Memory(記憶)Action(行動)の5つです。その頭文字をとってAIDMA


ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/AIDMA


AIDMA」+「tic」でアイドマのような。

「AIDMAtic」+「live」でアイドマのような生き方・人生

それに「Rainbow(虹)」を付け加える事で、「虹を欲して生きる上で得る虹」
読み方は「アイドマティック・リヴ・レインボウ」となります。


 ここで言う「虹」とは比喩であり、人生の「目的」「目標」と置き換えて下さい。掴もうと前に進み、それを手にする逃すに関わらず、その「目的」ないし「目標」を追う事で初めて手にする、培われる「智恵」こそが何ものにも換えられない成果である。という考えです。ジャケットアートワークと比較しながら解説します。


 中央にある果物はドラゴンフルーツです。これは正直何でも良かったのですが、絵としてこれが一番綺麗だったのでドラゴンフルーツを使いました。これを「虹」「目的」「目標」として下さい。それを上下から手を延ばしているという構図。しかしこの手は同時に、上から下へ与える、下から上へ献上する、といった見方も出来ます。誰かに何かを与える力、自ら差し出す力。何かを手にすることと同様に「与える力」も成果の一つであるとしています。


 「虹」「目的」「目標」を中心として行われるもの、得られるもの。それこそが重要であるというのがこのEPのコンセプトの核です。それこそが「虹」だということです。全体に漂っているカラフルな色模様を見てください。「自分探し」の旅に出たものの、旅をして気付いた「自分」とは初めから自分の中にあったというものとも通じるかと思います。「虹」を追い求める時の自分と「虹」を得た後の自分。虹を中心としたこの物語は、やがて虹の定義すら変わってしまいながらも、それを受け入れて前に進むこと。得たものは確実に自分を強くする。


 あそこにあるんだと思っていた「虹」は存在しないのだと知る。それは元いた場所からただ与えられる事実を、情報として受け取ることで生まれるもの、得られるものは「バカをしないようにする」「バカをみないようにする」だ。これは極端な考え方かもしれない。「踏みとどまる」という守りの生存本能を増幅させる。それは過去からやってくる智恵に間違いはないのだけれど。智恵を与える者を賢人とした場合、その賢人が智恵を身に付ける過程は愚行だったのだとすならば、賢人は元々はバカだったのだ。そんな賢人が得る一番大きいものは何か。それは挑戦し進む者を後押しし、踏みとどまる者を認める包容力だ。何かを差し出すことは、何かを手にする事。それは自然の摂理だ。失ったそこだけ真空にはならない。空洞には大気の一部が流れ込んでくる。それはただの空気ではない。何処かへ行ってしまったものばかりに気を取られていないで、流れ込んできた空気に目を向けてみる事。きっとそれはそれは何もない空気なんかじゃなくて、これからのあなたに必要な何かだ。



 自分の中にある得られた「虹」を精査し、一つの形にすること。何物にも換えがたいそれはあなた自身を映す。誰にも同じ物は作れない、唯一無二の価値。それはあなたがこれから人々と社会と共生する中で必要な「鍵」だ。その「鍵」は何処かに綺麗に当てはまる事はない。しかし人々の心をこじ開ける事のできる確かな武器だ。それはあなただけの個性と捉えてもいいでしょう。正解なんかじゃない、そして無駄なんかじゃない。成功に導くための「智恵」であり「鍵」。そう、その鍵こそが「Garapagositic Lupin-key」。



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 以上がAIDMAtic live Rain-bowのコンセプトになります。確実に次の物語へと繋がっていきます。

 
 ここからはAIDMAtic live Rain-bowの制作秘話的なものを書いていきます。楽曲は4曲です。これは5枚のEPの中で唯一です。4枚目と5枚目は共に3曲ずつです。おおまかな構成としては1曲目の「Grewanse Yie Guuna」と「Titiscoberk Ninivanyz」「Aplozllo Hazaragath」「Xeniasmende Cotorvas」の3曲という形です。「おしおきだべさ〜」と「ドロンジョ様とあと2人」の関係だと思って下さい。


 10月頃までは「Aplozllo Hazaragath」は当初の構想には入っておらず、2曲目に「Rieam Vigandadaria(リーアム・ビガンダダリア)」という曲が配置されていました。時間軸的には後半3曲を作り上げてから1曲目の「Grewanse Yie Guuna」を作るというスケジュールでした。3曲出来上がって「さぁグレワンス・イ・グナを作るぞ」と開始したのですが、いい感じで進んでいく中でちょっとした違和感を覚えました。出来ている曲は最高なのに、何だろう。そして曲が出来上がってこう思うわけです。


「誰だお前は…」


 「Grewanse Yie Guuna」を作ろうと始めたのは確かなのだが、気付けば当初の計画は何処かへ行ってしまって全然違う曲が出来上がっていた。ただし出来は最高。トチ狂っている。しょうがねえなぁとその曲を組み込む事に。それがAplozllo Hazaragath。Rieam Vigandadariaが外れた要因は3曲の中で一番おとなしいから。それもあるのだけれども、実はこの曲のメロディがすごくいいのでもう一度5枚目のEPで使おうと踏んでいました。伏線とその回収である。そう考えていた事もあり、出番自体は後のほうにある。そしてそれぞれのEPが紛れもなく独立している方がいいのではないかと思うようになっていた。ネタを仕込むような狡いまねはしない。純粋に独立したEPにしたかったので泣く泣くRieam Vigandadariaは没となった。


 この制作過程からも分かるとおり、AIDMAtic live Rain-bowは前作Dramasochistic Bon​-​voyageのように作るべき曲をしっかり決めるのではなく、完全にノープランで曲を作ることを念頭においていた。これまで書いたEPのコンセプトを何度も頭に繰り返しながら、その考えに毒され取り憑かれた状態の自分が作る曲はAIDMAtic live Rain-bowになるんだと固く信じていたし、これまでコンセプトアルバムを作り続けてきた自分の「手癖」を信じていたこともあった。


 そして何より、後に控える2枚のEPは3rdアルバムを見据えての制作に入る予感しかしていなくて、特に5枚目のEPはアルバムの始まりの曲と終わりの曲が入る。構成は頭の中にある。それは言ってみれば「縛り」のようなもので、AIDMAtic live Rain-bowはその縛りを考えずに自由に曲を作る最後のチャンスでもあった。なので同時に実験的でもあり、可能性を拡げる事の一助ともなった。Mahoramatic Non-fictionにもDramasochistic Bon​-​voyageにもない発想や輝きを持っている。そしてここからより新しいサウンドになっていく予感もしている。5枚のちょうど真ん中に位置する3枚目のAIDMAtic live Rain-bowは折り返しであり、裏返りや鏡面反射といった特異点の役割を担ってくれた。非常に意義のあるEPだ。アルバムアートワークもこれまでと違い、一見とことんシンプルに落とし込んでいる。そしてEPタイトルがジャケット内に入っている。これは5枚のEPの中で唯一だ。ノープラン故に新しいことが出来た。そして自分の色はしっかり残した。「手垢にまみれた成果」に「新たな価値」を内包させた。AIDMAtic live Rain-bowは「智恵の果実だ」。



追記:Youtubeにて待機中だった動画を公開しました。リリースまでまだ25日ほどありますが、「AIDMAtic live Rain-bow」を全編公開します。本ブログのコンセプトと共にお楽しみ下さい。そして少しでも無料配布CDに繋がればいいなと思っています。


2018年12月10日リリース!!!
(。・ω・。)人(・ω・。)(・ω・。)(・ω・。)
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AIDMAtic live Rain-bow

01. Grewanse Yie Guuna 06:38
https://soundcloud.com/glow-defective-soldier/grewanse-yie-guuna

02. Titiscoberk Ninivanyz 03:42
https://soundcloud.com/glow-defective-soldier/titiscoberk-ninivanyz

03. Aplozllo Hazaragath 05:20

04. Xeniasmende Cotorvas 04:48

total time 20:30

Glow Defective Soldier Records 016


CD無料配布ページ
「AIDMAtic live Rain-bow 」と同時にご注文のお客様には、一括して12月上旬に発送いたします。11月末までにご注文のお客様にはリリース前にお届けする予定です。

https://glowdefectivesoldier.stores.jp/