Mahoramatic Non-fictionのコンセプトと城台による「しくじり先生」

 Mahoramatic Non-fictionに心血を注いでいたのには訳がある。何かに全てを捧げようとしたところで無理な話しで、全力で何かに取り組めばハイにはなってもどこかで限界が来る。自分はそれが早いから、何かに行き詰ったらすぐに別の何かに手を出す。それを繰り返して何度も正気を保つための作業を繰り返していたように思う。何が正しかったのかはまだ判断がつかない。これからやっと自分の選択が、掴み取った糸が正しいものであったかが証明される。たとえ間違った選択であったとしても、正しかったと証明する。それが私が進む道であり、目標・着地点。


 上記内容が「なんのこっちゃ分からん」という方も多いでしょう。これは現在の時間軸(2018年11月7日)にいる城台の独白です。前・後編に分けたこのブログですが、前回の分をまだ見ていないという方、今日はリンクを貼りません。この記事をどうか最後まで読んでもらってからご移動をお願いします。



 さてさて、「Mahoramatic Non-fiction」とは何かなのですが、まずこのタイトルを分解しましょう。「Mahorama」とは「まほろば」の事であり、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。「まほらば」「まほらま」「まほら」ともいう。 (ウィキペディア)


まほろば」→「まほらま」→「Mahorama」になります。「〜のような」→「〜tic」。「まほらまのような」→「Mahoramatic」。


そして「Non-fiction」。ノンフィクション(英語:non-fiction) とは、史実や記録に基づいた文章や映像などの創作作品。また、その形態。 (ウィキペディア)



 要は「今いるこの世界を肯定する」になります。いきなり飛んでしまっている表現ですが、これまで生きてきた中で出す答えのひとつとして最終的にこの言葉に到着しました。月並みな内容ですが、人は一人では生きていけない、互いに支えあいながら生きている。その輪を広げていきながら成長する。上にも横にも伸びていく。一人では限界があっても、人と繋がることでその可能性は無限大。それに気付かされ、その輪の中に自分がいる感覚、自分も延びて生きたいし、誰かの何かを延ばして生きたいと考えた。


 とはいっても、自分が誰かの何かになれているのかは分からない。生かされ、輪の中に入れてもらえているという感謝。それが「Mahoramatic Non-fiction」。まだ自分が誰かの手を引きながら未来へ向かって走っていくようなビジョンは見えていない。これを皮切りに、そうなりたい。そうなるんだと自覚した段階です。


 事実、全力で取り組みはしたものの、まだ全てを出し切れていない感じが、見事に後の「EP5枚連続リリース」のコンセプトに繋がっていく。「Mahoramatic Non-fiction」は出発点であり、最終的な着地点にしたいと思うようになった。もう一度「Mahoramatic Non-fiction」という言葉を使う時、自分は誰かの手を引いて共に素晴らしい未来に突き進んでいる時だと。


 「素晴らしい場所」は存在する。世界遺産とか。そうではなくて、人との関わりの中でお互いに共有している想いがあれば、何処でだってそれは素晴らしい世界なのだと思う。そう、素晴らしい世界を作り上げるのだ。始まりは抑圧からの開放。締め付けていたのはダレでもない自分自身だった。不思議と誰からも拒絶されることなく迎え入れられてきた自分が、勝手に作った限界の壁で他者との交流までも絶ってしまった。もう一度あの時とは違うやり方で、もう一度やってやるんだ。よく分からない部分はルールに則ってやっていてハミ出しもせずおとなしくしていた。


 あれ本当に無駄だったなぁと。時間を無駄にしていた。よく時間は有限というけれど、本当に削られていくんだよ。色々なものが。タイムリミットという言葉がいかに恐怖をもたらすワードなのかを痛感する。そして誰も悪くない。全て自己責任。日本だけでも1億3000万人いるのだから、取り残されたものを救うために救命ボートは止まってくれない。ましてやUターンなどするはずがない。それでボートの人たちに危険が及ぶのなら、「どうぞ先に行ってください」と誰しもがそう告げてしまうだろう。アポトーシス。細胞の自滅である。



 話しが若干逸れましたが、逸れたついでにこのプロジェクトを始める発端で大事なことを思い出しました。「Mahoramatic Non-fiction」を作るとき、自分に問うた事。


「まったく金にはならず、人のためにもならず、自分ひとりのためだけに何かを作るのだとしたら、何がしたい?」


 制作から離れて、それでも心の中で何か終わらせきれない自分がいて、それを自分に一つだけ問い正した。自分の答えはこうだ。


「アルバムが作りたい」


 アートなんてどうでもいい。昔から、最初から、作りたいものはこれだけだった。自分で曲を作ってそれをパッケージングするトータル・コンセプト・プラン。やがて自分の曲は金にはならないと区切りをつけて、グラフィックデザイナーとして誰かの役に立とうとしていたこと、トータル・コンセプトに力を入れすぎて誰も介入できないほど作り込んでしまって、結果的に作品を殺してしまっていたこと。いつしか自分でも作りたいものの形が変わってしまっていることに気付けなかった。それで誰が自分に手を差し延べてくれるだろう。戦い方と、戦う場所を間違えた。求められてはいないのに、そうすべきなんだろうと勝手に突っ走って気付けば荒野で立ち尽くしていた。


「アルバムが作りたい」


 誰のためでもない自分自身の為に。ただの慰めにしかならないかもしれない。それで自分に何が出来るのか、どこまで行けるのかをみる最後のチャンスだと思った。自分の人生にトドメを刺すつもりで、アルバムを作りたい。自分のフォトコラージュ作品がある種のコンセプトや強みを意識しすぎたせいで、本来作りたいと思っていた純粋にやりたいと思っていた表現と違うように感じていた。他人の評価軸を意識し、誰もしていない表現領域でそこに特化すれば、そこのスペシャリストになれる。その考えがどんどん自分を固執させてきた。


 Mahoramatic Non-fictionのアートワークはその反動が大きい。活動を始めた2010年当初はフォトコラージュの何たるかも分からず、自分で写真を撮りまくってそれをコラージュしていた。それを見ていた人はこう言う。


「全部自分で撮ったんですか!!?」


 それが当然なのだろうと思っていた。フリー素材という概念を知ることもなく、そうするものなのだろうと勝手に決め付けていたから。またこうも言われる「大変でしょう?」「凄い」「とても真似できない」自分はそれが当たり前だと思っていたし、当時ちゃんとしたアートワークが作れるようになって楽しくて、それが苦だと思わず、当然のようにやっていた。無意識下で他者との差別化ができていた。当時外に向けて作品を発表して、初めて生で人の意見を聞いて、嬉しかったのも当然ある。それに乗っかってしまったのが選択の誤りだったと今は思う。辿る道が違えば正しい選択だったのかもしれない。しかし結果と心象模様をみれば明らかだ。優れている事は必ずしも正しいとは限らない。


「みんなやりたい事だけやって生きていければ苦労はないよ」なんて言うが、それを根本から否定してしまったらその時点でエンターテインメントは死ぬ」


 もっと色々なものを作りたかった。「色々なものに手を出すと作者の特色が分かり辛くなるよ」そんな言葉に踊らされたのか、作品世界も視野も狭くしてしまった。誰も悪くない。意見を真に受けすぎた自分が悪い。全て自己責任。過去のミスはもうこれ以上書きたくはないのだけれど、自分にとって何がいけなかったのかは明確にしておきたい。


一番何がいけなかったのかは明白だ。


「圧倒的に人とのコミュニケーションを取らなかった。だから少しだけ入ってきた情報をあまりに大きく捉えすぎた。たくさんの意見が入れば一つ一つの意見は小さくなる。けれどもうまく人に話しかけきれずに、その日得た小さな情報だけを大事大事に反芻し続けた」


 もっともっと人と話しをしていれば。当時は自分なりに多くの場所に顔を出したりしていた。しかしそのほとんどで、その場に居るだけで浮いている時間がとにかく長かった。最早いないのと同じである。何かをしたというアリバイ工作だけをフェイスブックにアップして、何かをやった気になっていた。人と差をつけようとしていた。一体何と戦っていたんだろうな。フェイスブックの友達は大体が作家なので、それをいくらやったからといって、相手に「俺も頑張らねぇとな」と思わせるだけになる。人気度ではなく認知度は高かったと思う。それは間違いない。それで繋がる縁もあった。イベントに出してもらえたりもした。それはとてもありがたい事。今でもちゃんと思う。恩恵を受けて、それをまるで返せなかった。


 「そうだよね」「仕方ないよね」「難しいよね」作家として生きていくのは難しい。だから諦めてしまう人は多い。あまり上手く書けないのですが、城台はこの3年というか、活動を始めた当初から別の場所で働いていた。これはこれまであまり口にしてこなかったことだ。その理由は「作家として、グラフィックデザイナーとして生きています」と告げなければ、夢がないと思っていたからです。バイトしながらとか、仕事の合間にとか、そうしないと続けられない仕事だなんて言いたくなかった。直接会った人にはボソッと言ってはいたけれど、その度に驚く人が結構いた。


「あれだけ活発に動いているから城台さんはもうそれでメシ食えてるんだと思ってました」


 騙すつもりはなかった。ただ兼業でやっているということに、あまりいい気はしなかった。高校の頃、女の子がヴィトンの財布を持っていて、「アタシ今1,000円しかもってな〜い(ミ・ﻌ・ミ)」なんて言うのだ。その子はヴィトンの財布を持って自分の価値を上げているつもりかもしれないが、「お前のせいでヴィトンの価値下がってんぞ( ´_ゝ`)」と内心思っていたものである。それと同じ事を自分はやりたくなかったのかもしれない。



 そう、城台はこの3年何をやっていたのかは書かなければなりませんね。脇道に逸れているようで、Mahoramatic Non-fictionのコンセプトには非常に重要な要素です。凄く簡単に言うと「城台はある人の下について調理人になる道を進んでいた」です。そしてもう言ってしまおう。もう隠す必要なんて無駄なことだと気付いているから。その料理人としての道は断念しました。


 上に書いた「まったく金にはならず、人のためにもならず、自分ひとりのためだけに何かを作るのだとしたら、何がしたい?」に繋がるのですが、まず料理人になる道を進もうと思ったきっかけが、そうもうちょうど4年前になります。当時イベント出展であちこち顔を出していた時、どうもこちらの思惑と主催側の思惑が一致しないという感覚がずっとあって、一人その苛立ちを抱えていた頃。まぁざっくり言ってしまえば、「作品展示は出来ます。ですが場所の都合上、販売は出来ません」う〜んな内容です。しかしそのイベントは一般応募で参加できるものでしたが、さすが認知度だけは高い城台さん。主催側から出展のオファーを直々に頂いた。


 当日、現地に着いて驚いた。ポストカードを売っている人がいる。「あれいいんですか?」「まぁポストカードぐらいはね」充血した白目をむく城台。県外の出展だったので交通費やもろもろのコストがかかっていた。出展オファーを頂いたという経緯もあり、みんな同じ土俵でとにかく宣伝に特化するという名目で来ていたのに、それをやられちゃって心が爆散した。


 お客さんに名刺を配ることは出来る。チラシを配ることは出来る。しかし名刺は仕事に繋げるツールのようなもので、お客さんに受け取ってもらったところで本来の役割が果たせない。しかも名刺は名刺としか機能しない。そう、グッズとしても機能しない。受け取ったはいいがどうすることも出来ない。チラシもそうだ。名刺もチラシも文字通りの役割しか果たせない。あの当時は作品集を作ったり、ライブペイントの成果物を売ったりと、販売に力を入れようとしている時だった。一気に全てが崩れていったのが分かった。


 ほぼ八つ当たりに等しいが、それまで色々な場所で出展していておかしいと思うルールなんかが目に付いてはいた。しかし何処にいてもルールは遵守していた。その中でやり繰りしていたのに、主催側がルールを軽んじた。そこでポキッといってしまった。プチッといって怒りをその場でぶちまける事が出来ていれば何かが変わっていたのかもしれない。それが会話だ。コミュニケーションだ。自分の思いを相手にぶつけていれば何かが変わっていたかもしれない。でも当然そうは出来なかった。その事についてそれ以上は触れなかった。


 ずっと苛立っていた。イベントに出展することも個展をすることも、出会いを求めていた。しかしイベントサイドは違った。そのイベントそのものの成功を重視していた。城台は未来を見、イベンターは現在を見る。お客さんが集まってくれる。作品を見てもらえる。それで賑わってよかったよかっただ。


 「これはどうやって作ってるんですか?」「凄いですね」「綺麗」嬉しい言葉をかけてくれる。しかしその後「わたしは芸術とか分からないから」「いや〜凄いんだろうけど」「まぁでも頑張って下さい」。オブラートに包まれているが、どんなスナイパーや爆薬にも破られない強化ガラスがそこにあった。壁だ。檻だ。博物館、動物園。ヤギだ。100円の餌を差し出されてもさもさ食べている。ヤギだ。それ以上でもそれ以下でもなかった。そんなネガティブなことや売り上げとかの話しをするべきではないと思うだろう。当時自分もそう思っていた。だからこれまでこんな思いはひた隠しにしてきた。いい人でいなければ人はついて来ない。ただでさえうまく会話が出来ないのだから。そうして誤魔化し続けてきた。それが2014年にズバンっといってしまった。正直者が馬鹿を見たのだ。多少でも強引に物事を切り込んでいけば少しは融通が利いていたのかもしれない。引き返せなくなっていた。


 あの頃は焦っていた。段々と作品が作れなくなってきていた。目新しい題材が思い浮かばなくなってきていた。グラフィックデザイナーとしての自分の能力を発揮するために、仕事のオファーという「お題」が欲しかった。御幣があるかもしれないが、自分自身で作るべき推し進めるべきコンセプトがなくなりだしていた。もう何もなくなってきていた。ただ作り続けるだけになっていた。何のコンセプトもないのであれば、金にならないものを続けていくことは死を意味していた。だから誰かの役に立つ形でグラフィックデザインを作り続けていきたかった。


 「アーティスト」「芸術家」「作家」この言葉が持つ意味はあまりにも大きい。そして定義される。定義される事は枠にはめてしまうという事だ。定義と役割はたびたび混同される。誰の責任でもないまま「アーティスト」と定義され、その定義の中で役割を全うさせようとする。アーティストは物を作る、芸術品を作る。その中で新しい価値観を生み出したり、新しい視点を生み出したり。それが役割。要は物作り(物質的)をして、その中で批評や皮肉や展望を内包させよ、という事。それも駄目ではないけれど、あまりにも定義と役割の縛りが世間一般の認識として強く作用しすぎているように思う。「一生その道で食っていく覚悟でやっているのか」など。とかく縛りに気がいき過ぎてもう何が何だか。


 そうした苛立ちが募っていた時期にその当時働いていた場所で、後の城台の師匠が声をかけてきてくれた。「料理の道に進まないか」と。その人はとにかく強い人だった。間違いを見つければ徹底的に追求し、叩き、改善する。弱った人には寄り添う。最後の最後まで見捨てない。上下関係は徹底して守り、部下であり年上の人には敬いの心は忘れない。自分のような年下のミスは徹底してカバーし、チームを引っ張っていく統率力。職種や戦うフィールドは違えども、憧れの存在だったのだと思う。以前の活動において一番インスピレーションをもらっていたのはその師匠の言動・行動、そして料理のクオリティ。味もそうだけれども盛り付けの斬新さ新鮮さなどなど。仕事とはどういうものか、その師匠の考えが自分の仕事論と通ずるところが多々あった。


 人生のターニングポイントはいつ訪れるか分からない。それまで半分冗談のように言われてきていた。「お前コックになれば?」でも自分にはやらなければならない事があると自負していた。その誘いは何度も断ってきていた。しかしあの時は違った。自分が本気でヤバイと思っていた時期、結構マジトーンで「料理の道に進まないか」と言われた。その師匠の下で働きたい気持ちが少しあった。自分の理念と通じる考えを持った人であったし、その人以外で本当に共感できる人に自分は出会えていなかった。その誘いに城台は承諾した。



 制作が行き詰りそうだった自分、現状に対し何も出来ない自分。問題は外にある。そんなものはどんな場所にだってある。問題はその問題に対し何も出来ない自分。上記のような我執に囚われた状態で、しかもポキッといってしまった。しかしやりきっていなかった。製作が行き詰まりそうになっていただけで、事実まだ行き詰ってはいなかった。次の一手は残っていた。しかしその次が思い浮かんでいなかった。イベント運営に対する是非に関しても、事実何のアクションも起こさなかった。完全燃焼した先で次の道に進んだのではない。未練を残したまま、信頼する人から差し延べられた手に、甘えてしまっていたのだ。


 仕事は楽しかった。どれだけ辛いと思っていても辞めようとは思わなかった。それは師匠への信頼があったからだ。3年続いたのは師匠への信頼があったからこそだと思う。しかしそれも問題だったのだと思う。「料理人にならないか」と誘われた。それまで料理なんてまともにした事がない。上に書いた「お題」と捉えたのかもしれない。ここまで書いてきて考えをまとめながら、たった今そう思うだけかもしれない。言い訳のように聞こえるかも知れない。先に料理の道を断念したと書いているから。誤解されてしまうかもしれないけれども、それはそれでいい。いい人でいる必要はないのだから。でも今でも師匠への信頼も尊敬も微塵も揺らいでも削れてもいない。それを信じてもらうもらわないはどうでもいい。


 まぁやっと本編に戻ってくるんだけれども、Mahoramatic Non-fictionを作るコンセプトは最初に書いた通りなのですが(横道に逸れすぎて覚えてるかな?)、何故あのコンセプトを作ろうかと思う発端がその師匠から受けた恩恵から来ている。自分が生かせられているという事実と感謝からきている。生かされているだけでなく、自分も誰かを生かす力が欲しいと思う。そのモチベーションが城台の師匠であったという。


 城台の仕事内容は本当に残念極まりない様相で、自分でも己の残念さ加減には辟易していたのだが、師匠はあれこれ言いながらも「まだ間に合うから」と引っ張っていってくれた。そんな折、去年よく言われていた事があった。「30までに生まれ変わらななぁ」。そう、城台は三十路に突入しました。当時は29歳。この分かり易いボーダーラインにしてタイムリミット。ダブルEPを作っていた。毎年毎年何も成し得なかった自分が何かを残そうとしていた次期。はっきり言って逃げだ。料理人になろうという人間のすることじゃない。ダブルEPは頓挫し、Mahoramatic Non-fictionを作るなんて正気の沙汰じゃない。人間として終わっている。分かってる。それは分かってる。しかしだ。制作において先を見失った、打ち出すコンセプトが無くなってしまった。生殺しの飼い殺しで瀕死で辛うじて息をしていたあの制作意欲が数年振りに落としどころを見つけて湧き上がってきていた。人間的なポテンシャルが徐々に上がってきていた。


 Mahoramatic Non-fictionを作るエネルギーで自分のモチベーション、ポテンシャルを引きずり出そうと思った。ポジティブになればインプットもアウトプットも前向きにどんどんできるんじゃないかと期待した。そして「30までに生まれ変わる」という目標に対して、20代最後の軌跡をしっかり残そうとも思った。なのでMahoramatic Non-fictionの完成も急いだ。時間がない中で「本当にこんな事をしていていいのか」。そんな後ろめたさはあった。それでもやった。間違いかどうかは後に検証すればいい。「30までに生まれ変わる」そのゴールラインに突っ走った。


 Mahoramatic Non-fictionは最高の出来栄えになった。楽曲は過去最高クオリティ、ジャケットは本来フォトコラージュで作ってみたかったテイストで作ることが出来た。伝えたいコンセプトが生まれた。でもこのコンセプトはずっと自分の中にあったものだ。「やり続けていきたい」「誰かの役に立ちたい」新しいようでいて、やっと最古の本音を出した瞬間だった。まだまだ言い足りないけれど、もっともっと殻や壁を壊して自由にならなければならないのだけれど。考えてみれば、一旦活動を凍結させるあのわだかまり。あれはニーズだったんだと思う。それは誰でもない自分のニーズ。それをぶっ壊せばもっと先へ行けたし、後続のために道を拓くことができたはず。それは業界や文化を拡張する一助になっていただろう。師匠の言葉に甘えて目の前の課題に目を逸らした。


 こんな言葉がある「チャンスはピンチの顔をして訪れる」。後になって気づいても遅いけれども、まだ遅くはない。気付いたのだから。そして失ったモチベーションを取り戻したのだから、それどころか以前のモチベーションを軽く越えているのだから。一石どころか大陸一個落とし込んでやるぞと。まだ遅くはないと思い、進もうとする意志は師匠の下にいたからこそ抱いた熱意だと思う。師匠と一緒にいて良かったし、微塵も後悔していない。時間を戻すが、結果的に「30までに生まれ変われたか」という問いに対して、仕事上は望んだ様にはいかなかった。制作で上がったモチベーションで仕事のモチベーションも引っ張り上げたいと思っていた。それは上手く機能しなかった。そう思い通りにはならなかった。


 なんか「Mahoramatic Non-fiction」を作った1年前と今の考えがごっちゃになってしまってきたんですが、もう色々端折ります。料理人としての道を諦めた。師匠の下から離れました。その少し前に師匠と約束していたことがあって、その内容は半分冗談のような感じでもあるけれども、その約束を実現するために師匠の下を離れました。師匠の下にいたら、自分は甘え続ける。そして約束は果たせない。この約束が何なのかは書けません。絶対に誰にも言えません。だけれども分かって欲しい。安定を捨てました。師匠の下にいれば安全で安定した社会生活が送れれていたでしょう。自分の心の声に正直になること、ずっと支えてもらっておいてそれを無にしてしまったこと、この先思い通りにならないかもしれない不安。色々あります。運命を変えよう。Mahoramatic Non-fictionという言葉は嘘じゃない。それを本当にしよう。まずは自分から。人は馬鹿だと言うだろう。今失ったものよりも、失わなかったことで失う未来の損失は計り知れない。気付いた今しかないんだ。絶対にまた帰ってくるから。「Mahoramatic Non-fiction」という言葉をもう一度使う時、自分は誰かの手を引いて共に素晴らしい未来に突き進んでいると、そう信じる。




Mahoramatic Non-fiction

01.Jyagyawli Makcoled 5:28

02.Benthend Warrham 3:57

03.Leoryphan Vistavkifco 5:14

total time 14:41
Glow Defective Soldier Records 014


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 長々とした記事になってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございました。見苦しい部分が多々あったことと思います。次回は「Dramasochistic Bon-voyage」のコンセプトについて書きたいと思います。「まだやんのか」と思われそうですが、次回を最後に現在の時系列に戻れると思います。そして次回リリースするEP「AIDMAtic live Rain-bow」の情報を書いていきたいと思います。


これからがスタートです。
よろしくお願いします。


ではでは(・∀・(・∀・(・∀・*)


ε(*´・∀・`)з゙βуёβуё”ε(´・∀・`*)з