Dramasochistic Bon​-​voyageのコンセプト

 素晴らしい世界は存在する。それは何処にでも存在する。しかしふとした瞬間にふっと消えてしまうものでもある。信頼によって紡がれる双方の結びつき、ただその空間が心地よくて心と貢献を怠れば、それはやがて消えてゆく。今まさにそこに立っていて、その不安が暗雲となって心を覆いそうになったのならば、行かなければならない。変わらずそこにいてもいいのだけれど、変わることが出来なければその世界はなくなってしまう。行こう。行こう。行こう。何処へ。何処へ何処へ何処へ。



 上記内容が「なんのこっちゃ分からん」という方、書き出した筆者自身も思っています。あなたの感覚は間違っていない。正気を取り戻しました。そのまま下にスクロールして大丈夫です。「なんのこっちゃ」てこの流れ何回目だよ、とお思いの方、毎度おおきに。そのまま下にスクロールして今宵もアドレナリンシャワーの脳内麻薬で共にクダを巻きましょう。




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 Mahoramatic Non-fictionは当初6曲構成、後に3曲構成となった経緯は2個前のブログで書いた通り。Leoryphan Vistavkifcoが過去最高傑作として産み出されてしまったが故に、余計なものを完全に排除した、もうこれ以上削れないところまで削りきった状態に持っていくためでした。苦渋の選択の末に脱落してしまったのは次の3曲。


「クークネガ・ヒーズネー」
「ホフスキン・ミモリザ」
「アルコーゲン・カリカー」


 あえて書かなかったのですがこれらをボツにする際、別の思惑がありました。こいつらはまだ延び代がある。だからリブートさせよう、と。そう、端からダブルEPのように脱落させるつもりは毛頭なかったのです。ちょっと曲を作ることに慣れ始めていたのか、謎の自信に満ちていた。


 3rdアルバムを作ろうという計画を前作からぼんやりと構想を練っているのですが、3rdアルバムにちなんで、この時は3枚のEPを作ってそこから1曲ずつ選抜して戦士を輩出して、プラス新曲3曲をあわせた6曲で、3尽くしに3の倍数という3まみれのアルバムを作ろうと考えていました。言うてもそんな大量に曲は生産できないだろうと高を括っていた。前回のブログに書いたように、城台はまだこの時は吹っ切れていませんでした。何を思ったか、まだポテンシャルが上がり切っていないんだと勝手な言い訳の下、もっとテンションを上げなければならないと没入という言葉を欲しいままにのめり込んで行っていたのでした。


 EPタイトルですが、元々は「Lovers Tempest(ラバーズ・テンペスト)」にしようと思っていました。前作の音像をいうなれば「全トラック=全プレイヤー」だったわけです。全部の音が本気でビヤ〜〜〜っとなっている。もうそれぞれの音が人格を持って挑んでいるような。それとは対照的に、

「出るところでは出る。引くところでは引く。それはまるで愛の様に嵐を紡ぐ“Lovers Tempest”」

 なんてコンセプトで挑もうとしていました。上記のような文が出来てしまったので、インスタのストーリーに「厨二文章を極める」なんて予告を流す始末でした。まぁそれはすぐにどっか行ってしまうのですが。これは今年の1月頃だったと思います。しかし2月にはそんなものどうでもよくなるぐらいのタイトルが突如降ってきました。


「Dramasochistic Bon-voyage」
ドラマゾヒスティック・ボンボヤージュ

「Drama+Masochistic」
「ドラマ+マゾヒスティック」
「演技+いわゆるドMのマゾ」
それに「Bon-voyage=(航海のときに使う)よい旅を」


 「ドラマ+マゾヒスティック」はですね、前回のブログで書きました、城台の仕事ぶりが残念極まりないという状況から。やっぱり表には出せないんですね性格上。しかし内心「だーくそっ」とか「ちょっ待っとけやー」「やってやんよチクショー」とかあるんですね。しかしやってもやっても仕事はダメダメのまま。そこからきています。


 EPタイトルは一気にズドンと降ってきました。ふと自分を俯瞰した時に、そのタイトルと自分の状況が全くもって一致していることに気付きました。「だーくそっ」とか「ちょっ待っとけやー」「やってやんよチクショー」とかっていうのは、もしかしたら究極的に突き詰めたら「演技」なのかなって思ったりしました。打たれまくってもへこたれずに挑み続ける。スポ根です。そんなもの男なら誰だって持ってるものだと思っていました。問題はそれで自分が前進していないこと。「チクショー」があるだけでそれをバネに出来ないもどかしさ。


 ここで城台が7月頃にDramasochistic Bon-voyageリリース前にインスタにアップした文章を転載します。どこか抽象的で詩的な文章ですが、前回ブログで自分の状況を語った今ならまた違った見方が出来るとともに、タイトルとコンセプトが一気に飲み込みやすくなると思います。


ではどうぞ。


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鈍重な精神は、鞭打つ事でしか前に進めないのなら、たとえその痛みが悲鳴を上げる程のものであったとしても、そうする事でしか前に進めないのだから甘んじて受けよう。そんな己の軟弱さを受け入れて前に進む事。それがDramasochistic Bon-voyage。


他人の嘲笑を受けながらも、ウルセェやってやんだラァと啖呵を切る事。目の前の障壁があまりにも高く、無理を承知で飛び込んで火傷して、それでも何度も何度も果敢に飛び込み続ける意志。そんな己の愚直さの裏にある進歩には届かない現状維持の行為を誤魔化し、前にだけ視線を向け続ける事。それもDramasochistic Bon-voyage。


叱責にまみれ、それでもめげないそれだけの根性しか持ち合わせず、後退はしていないと失敗をバネにしきれない及び腰の穀潰しの開き直り。それもDramasochistic Bon-voyage。


誰が口にしたのか、Dramasochistic Bon-voyage。自身を俯瞰するもう一人の人格。そんな大層な代物ではなく、心の熱を失念した自分自身に他ならない。


鞭打たれながら前に進む自分に自惚れ、誰よりも強固な精神力を持ち合わせていると偽り、その実、他者の先導無しには何も出来ない愚鈍な屍。とんだドM根性と一丁前な強がりという演技(ドラマ)に興じるクソナルシシズム。そうしてこれまで生きて来たのだから、それでしか生きられないのだから。


これからの航路を進むにあたり、今一度、己の残念さ加減と対峙しなければならない。痛覚に直接触れ、握りツブす。炎症を起こし、冷めきった精神を灼く。自身を俯瞰するもう一人の人格という大層な代物ではなく、心の熱を失念した自分自身にもう一度火を灯す。それが自身を先導する灯りになり、その先を進む松明となれば何かが変わろう。


Dramasochistic Bon-voyageとは、その言葉自体との別れを目的とし、そうして好転したこれからの人生を迎える事が出来たなら、それはMahoramatic Non-fictionとなる。


その先の景色の中で一際美しいものと出逢い、その手で掴もうとする事。それがAIDMAtic live Rain-bow。


それはまた、次の物語。

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 内容が混同しそうなのでEPのコンセプトについてのみ書きます。こうなって来ると冒頭に書いたあの文章も大事なことを書いている気がしてきました。Mahoramatic Non-fictionで「人に生かされている自分」を自覚し、「自分も誰かを生かす力が欲しい」と熱望し、「なんでオレはこんななんだッ」と憤る。この3つ目こそがDramasochistic Bon-voyageが語るべき、担うべき部分であると。自分の弱さを叩きつけ、皮膚を越えて神経・痛覚を灼いて「生への渇望」を痛感すること。


 当時、と言っても半年ほど前ですが、Mahoramatic Non-fictionという言葉を使うのが早かったのではないかと思う時期が少しあったように思います。今は考えがまとまり、出発点であり着地点であると認識できているけれども。Mahoramatic Non-fictionというタイトルに、「大口叩いちゃったなぁ」という思いがあったのだと思います。どの面下げてどの口が言うんだよ。もっともです。しかし掲げてしまったものに追いつこうと自分を奮い立たせる役を担わせるには絶好の燃料だと開き直っていました。その燃料で自らを灼くことばかり考えていました。


 自家発電の出来ない性質。根本的にはそうなのだろう。「だったらしっかり未来を見据えて行動している人の下にいればいいんじゃないの?」それも一つの選択、一つの人生でしょう。しかし気付いてしまった。冒頭に書いたように、生かされているだけではいつかそれを失ってしまうと。強くならなきゃいけない。誇りは誰かに誇れなきゃ意味がない。削れば削るほど、掘れば掘るほど見えてくる。それは本音であり生存本能と優先順位。自分が何者なのかが見えてくる。建前に包まれた裏側の本音。痛覚も灼かねばならないが、体表を覆う繭や膜を焼き尽くさなければならない。空気の温度を上げ、鼻につく煙を立てる。自分に与えられた役割と行使する方法を探り当てる。出口の方に煙が流れていく。今までずっと吹いていた風にようやく気が付く。


 しつこい感じが出ていますね。でもそういう事だと思います。愚鈍さを軽蔑し差し引いた先での生への執着。自立への第一歩。その思いを抱きながら、そう、目の前にある曲に全精力をぶつける。それは楽曲を介して自ずと滲み出てくるのだと信じて取り組んだ。


 「アルコーゲン・カリカー」は「Eklepton thadd Pellugraw(エクレプトン・サッド・ペルーグラウ)」に改名し、総トラック数120前後という鬼楽曲となった。終盤、城台自身の叫び声が録音されている。生への渇望にはそれしかなかった。「ホフスキン・ミモリザ」は名前こそそのままだが、当初包容力を持った優しさは消え失せ、没落したものがもう一度立ち上がろうとジワジワ沸き立つ様を克明に刻み付けた。「出るところでは出る。引くところでは引く。それはまるで愛の様に嵐を紡ぐ“Lovers Tempest”」などというコンセプトは何処かへ消えていた。気付けば持てるもの全てをぶち込んだ。自分を痛めつけ内面を見つめる内容故の暗さは目立つものの、次回以降で突き抜けるためには必要な作業と捉えた。Mahoramatic Non-fictionにあった前へ進む衝動性よりも、内に潜むマグマを確認・呼び覚ますことを目的とした楽曲は、前作よりもプログレッシブな側面を如実に強めた。


 収録曲はこの2曲です。それだけで事足りると踏み「動の中の静・静の中の動」を表現できているようにも受け取れます。至高という言葉も念頭にあったかもしれません。そんなあらゆる要素が垣間見えるEPになりました。


 ジャケットデザインに関してですが、かなり直接的な表現に落とし込めたなと思います。楽曲のノリともリンクし、コンセプトととも密接にリンクしている。グラフィックデザイナー冥利に尽きるものが出来たんじゃないかな。今はまだ一人だけれど、こうして複数の意思やチャンネルが融合する未来があって欲しいと思う。そこへ進むための松明も得たし、心の熱は取り戻した。


旅が始まる。


Bon-voyage...




Dramasochistic Bon​-​voyage

01.Eklepton thadd Pellugraw 6:52

02.Hohzkin Mimoriza 7:24

total time 14:16

Glow Defective Soldier Records 015


FREE DOWNLOAD

https://glowdefectivesoldier.bandcamp.com/album/dramasochistic-bon-voyage

CD無料配布ページ

https://glowdefectivesoldier.stores.jp/

Youtube全曲視聴


 ここまできて、そういえばもう1曲のボツ曲の「クークネガ・ヒーズネー」はどうなったの?というコアな方がいらっしゃったら飛び上がるほど嬉しいです。Youtube動画の冒頭にGlow Defective Soldierのロゴと一緒にボコボコいう音が入っているのですが、あれクークネの断片です。あれこれから動画を配信する際に絶対付いてくるから一番出世したかもね。


 またしても長々とありがとうございました。次回からは通常営業ができそうです。これから会う人たちにEPのコンセプトやこれからのプランをお話しする機会を設けていかなければなりません。しかし全ての人に全ての内容を届けるのは難しい。そんなときにこのブログ記事が役立てばいいなと思います。



ではでは_(°ω°」 ∠)_三_(°ω°」 ∠)_三


ε(*´・∀・`)з゙βуёβуё”ε(´・∀・`*)з