2013年もいよいよ終わります。いよいよと言ってもこの前始まった様な感覚ですが。今年は去年とは違い、極力福岡に重点を置いて活動してきました。その中で自分が起こしたアクションは大きく下記の3つだと思います。その都度、自分を知って頂いた方でまだ見ていないものがあれば是非ともリンク先に飛んでいってもらいたい次第です。


2月 IAF SHOP*にて個展『Utopian Dystopia』
http://d.hatena.ne.jp/glowdefectivesoldier/20130225


6月 第18回ナマ・イキVOICE アートマーケット『Albino Morning Dream』
http://d.hatena.ne.jp/glowdefectivesoldier/20130603


11月 第2回天神ラボ『ライブペイント』
http://d.hatena.ne.jp/glowdefectivesoldier/20131120


 この3つの共通点。それは内包と蓄積。Utopian Dystopiaは去年のプロジェクトで、2011年から製作していたもの。さらにはそのコンセプトは自分が活動を始めていた頃に持っていた社会観のビジュアル表現による投影。Albino Morning DreamはUtopian Dystopiaよりも前に着手したもの。ライブペイントも2年ほど前からやろうやろうと考えていたもの。そして放出した順番が当初は出来る順番だったものが、必然的だったような繋がりを見せていて、Utopian Dystopiaは社会を俯瞰した行為だった。その後、Albino Morning Dreamを制作する。6月のブログに書いたけれど、これは元々自分の3rdアルバムを制作し、そのためのジャケット用の作品だった(詳細はリンク先)。あれよあれよと言う間に「社会における芸術の役割は何か」という問題提起と回答を示すプロジェクトとなりました。自分の行っている行為がどう社会に貢献できるか。「俯瞰」から一転、「提案」というスタンスに立つ。
 そうした意識の変化があった後のライブペイントである。Albino Morning Dreamが提示したのは「本来人間が生物として持っている自然的な要素を社会がもたらすプロセスの中で失っていく人々に対し、自然的要素を取り戻し、提示されたものが現実を生きる人々に生物が持つ本質的・根源的なものを呼び覚ます、火を付けるといった役割(6月の原文抜粋)」だった。それを実際に自らの身体を使って「自分のマイナスを0にする事、そして誰かの潜在的な欲求・空白・欠落を埋めて0やプラスにする事。人はここまでやれる事を証明したかった(11月の原文抜粋)」。このライブペイント時にはまだAlbino Morning Dreamのコンセプトとは結びついていなかった。けれど終わってからこれまでと今後をどう結び付けていくかを考えていく過程で上手く繋がった。そしてUtopian Dystopiaとも。


 Utopian Dystopiaを俯瞰と書いたが、その内実は社会における警鐘と自虐だった。惑星と人間の関係性、社会だけを敵にするのではなく、間違いなく自分もその社会の一員であるという決定的な事実と共に、それに生かされ、甘えぶら下がる己自身の投影でもあった。今年行ったプロジェクトの一貫したテーマは社会との繋がりであった。俯瞰という視点を20点の作品群によって提示した。俯瞰とニヒルに言ってはみたものの、やはり言わなければならない、出さなければならないという思いがあった事は否定出来ない。いや俯瞰というスタンスでいる事で、鑑賞者に対して「さぁどうする?」と投げかけるものだった。単純に見れば「社会はこの星にとって害悪だ」という決別のように映るかもしれない。しかしこのUtopian Dystopiaというプロジェクトは自分が社会と積極的に関わろうとする意思の表れだった。社会と関わる上で同調や従属ではなく、違う視点という切り口で隙がある部分を衝いた。
 Utopian Dystopiaは問題提起と位置付けられる。それは鑑賞者であったり、自分であったり。社会はどうあるべきだろうか、その中にいる自分に何が出来るだろうか。Albino Morning Dreamはそこから一歩進んで一つの方法論を示唆したものだった。
 鑑賞者一人一人にそれぞれの人生がある。価値観やテーマ・コンセプト・ストーリーを押し付ける事なく、それぞれの人生に火を灯す様な作品を出したいと思うようになる。フォトコラージュという行為が人の心を動かすにはどうすればいいか。そこで出てきた答えが、人々が何気なく見過ごしている無価値なものに価値を与える事。特別でも何でもない風景を幻想に組み込んでしまおうというもの。ありふれた日常からいかに己の想像力を駆使して斜め上のモニュメントと出来るか。
 ライブペイントは2年ほど前から構想を練り始めたが、人前で直に何かしたいと考え始めた頃を遡れば、10年近く前からという事になるかもしれない。その欲求を満たすと共に、Albino Morning Dreamで行おうとした事をもっと直接的に伝わるようなものにした。その結果があれで、ライブと言うからにはライブにしたかった。スタジオライブ音源のようなボーナストラック感覚では決してやりたくなかった。本職の制作があの抽象ラメクレイ壁ではないし、フォトコラージュの制作風景の真実を見せたかった。そしてどうせやるなら完成品が鑑賞に耐え得るクオリティのものを出したかった。やるからには全部上手くいく形を模索した。


 IAFでUtopian Dystopiaの会期中、短い時間でも毎日在廊した。その中でよく言われていたのが、作品の印象と作家の印象が違うという事だった。作品からはイケイケドンドンな印象を持っており、そこには真逆な感じの作家がいる。それをちょっと思い出していたとき、自分がこの一年でやろうとしていた事の片鱗が作品から出ていたのだという事に気付いた。作品制作と発表。それは何の為にするのか。何故作るのかを考えた時、その答えは明白で、言語化出来ないものだから。自分1人だけではどうにも出来ない事を作品制作によって消化する。それは自身のマイナスを0にする事。それをUtopian Dystopiaの作品群は達成していた。作品から作家のイメージが形成されていた。しかし実際に自分がそのイメージに答えられたかといえば、不十分と言わざるを得なかっただろう。作品がマイナスを0にしたその機会をプラスに持って行くのは、結局のところ作家である自分自身しかいない。作品たちは十分過ぎるほどの成果を上げていた。準備が出来ていなかったのは自分自身だったという事。
 いつも出展に関しては後はやるだけ状態に持って行くけれど、これまでは展示構成などだけに留まっていた。そんなこれまでの状態から一歩出たのがライブペイントだったと思う。作品が自分のマイナスを0にする。それを前面に押し出しプラスにする事。それでもまだまだだったかもしれない。けれども間違いなく一歩を踏み出せたことは大きな功績だ。これを継続していきたい。
 社会との繋がりを求め、模索した今年一年間の過程において、問題提起と方法論の示唆、そして自分自身が前に出る事。最初に書いた通り、今年は福岡を中心に活動した。去年までは情報収集が上手くいかなかったのか、出展機会を外部に求めていた節があったが、今年は妙に人に恵まれて、福岡にいても意外と出そうと思えば場所も機会もあった。去年からあったUtopian DystopiaをIAFでの個展にてトドメを刺し(実際はそうでもなかったが)、次に出展したシゲキバアルテで現在制作している造語シリーズへの受け渡しも上手くいった。個展中はどうも形にならなかった造語シリーズの制作が個展終了後、意外とスムーズに導かれる様にVobiro Vilronigalが完成した事も大きかった。今ではRacists以上にメインビジュアルを張っている。そしてその時のアルテメンバーがかなり濃く、一昨年の福岡魂以来、また一緒にやりたいと思っていた本多さん。本多さんにシゲキバを教えてもらわなかったら今年の幾多の奇跡は起こらずじまいだったろう。
 今年の活動はシゲキバアルテから始まったような気がする。梅田さんと仕田原さんは9月にはぐ集合で一緒になり、そうそう生島さんについて書かなければならない。生島さんの事を知ったのは今年の1月。IAFで加藤笑平さんと新春パフォーマンスをした。最初は何だか良く分からんが凄そうだと思って見に行ったのだが、なんかこうその時はまだ漠然とライブペイントしたいなぁぐらいにしか思っていなかった自分に、「なんて自分のやろうとしている事は俗物なのだろう」と思わせるほどの形容不可能なもので、ライブペイントやっていいんだ、やらないかんとその時自分に思わせた大人物2人の内の1人で、はぐ集合の打ち合わせのときに生島さんがチャリ押してやって来た時の衝撃はかなりのものだった。しかもDMデザインを任され、生島さんの絵を使うという事にまで発展。こんな短期間でこんな事になるかっていう。そう、はぐ集合に誘われたきっかけはロン子さんがシゲキバに行った事らしい。すげーよ。ずっと思ってたんだ。パークサイドギャラリーを通る度、ここで展示してぇなぁって。キュレーターのロン子さんにはリスペクトの念を送りまくらなければならない。


うるさいギャラリー
『新春画 生島国宜×加藤笑平パフォーマンス 拝2013景』
http://urugallesk.exblog.jp/18553464


 話し戻ってシゲキバの話し。ボンドさんとの出会いは本当に大きかった。ボンドさんの事を知ったのは去年の天神ラボ。「ライブペイントがしたい、やるなら立体にしたい」そんな漠然とした自分の中だけの構想を形にしている人がいた。それが他ならぬボンドさん。自分のコラージュ作品を評価してくれたし、その後も認知してもらっていた。MOUNTにも呼んでもらえた。年末、今年最後の活動。最後に来年やらなければならない事を気付かせてくれた。ボンドさんからは行動力という点でいつもインスピレーションをもらっていた。田中さんもアルテ以降、別人のように動いていた。
 

 そんなこんなで今年の漢字は『縁』だったと思う。「えにし」と読んで欲しい。ニュアンス的に。縁と言えば、2月って言うか5月って言うか、かなり凄いことが起こって、IAFでUtopian Dystopiaをやっているときに加藤笑平さんが5月に2人展の下見のためにみなみりょうへいさんを連れて来ていて(そのときは会ってない)、その時みなみさんはFUKIAGE WONDER MAPのレジデンスで鹿児島の吹上町に滞在中で、5月に展示のオープニングパフォーマンスにWONDER MAPを取り仕切る博多和宏さんがやってきていて、博多さんとはお互いに存在を認知しあいながら実際に話すのはその時が初めてだった。そして実は今年のFUKIAGE WONDER MAPに博多さんから誘われていたのですが、Utopian Dystopiaがあるので興味津々でありながら見送らざるを得なかった。その博多さんとIAFで初邂逅という出来すぎたミラクルが発生して不思議な感覚だった。これ誰かに言うのも書くのも初めてで、今年の縁を考えるとこれは書かざるを得ない。博多さんとは11月に鹿児島のストリート美術館でご一緒させて頂いたりと、上手いこと流れって出来てるんだなぁと本当に思いましたよ。


 今年は色々な人と直接的に関わる様になり色々考えたんですけど、自分が過去に制作したアルバム『PANDEMONIUM PANDEMIC』をフリーダウンロード出来るようにしました。楽曲の展開やアルバム全体の流れ、タイトル、コンセプト全てにおいて、現状これ以上のアルバムを作る自信はありません。でもこれがUtopian Dystopiaのコンセプトに繋がり、それがこれまで書いたような活動に結びつき、変化していく起点であるアルバムなので、これまで伏せ気味だったけれども、ちょっと聴いて欲しい心境になりました。ダウンロードしなくても聴くだけでも可能です。

http://gdsr-kosukejodai.bandcamp.com/album/pandemonium-pandemic

 あと10月のシゲキバアルテの時に出したミニベスト盤をフリーサンプラーとしてこちらもフリーダウンロード出来るようになっています。アルバムとしての本来のAlbino Morning Dreamに収録予定だったCollapse the Evil wayが収録されています。

http://gdsr-kosukejodai.bandcamp.com/album/gdsr-free-sampler-vol-3


 来年は輪の中に入り、共にイベントを盛り上げたい。積極的に人と関わるようにしたい。あと作品集を作る事。今年以上に動いて一つ一つを大事に最大限に。作品の力だけに頼るのはもう辞めよう。人を引っ張れるような存在になりたい。


 新年明けたらサイトのBIOGRAPHYを更新します。それでは皆様今年一年ありがとうございました。来年が今年よりもよりよい年となりますよう。