福岡パルコにて開催しておりました『天神ラボ 2013』が終了しました。お越し下さいました皆様、ありがとうございました。今回天神ラボで提示したものが何だったのかを書き記して行きたいと思います。


 まず8Fの展示について。普段行っているフォトコラージュ、それにトリックアートを用いた「動く絵画の提案」を展示していました。表面がトリックアートを取り入れた2点で、最初に作ったRend Jing Tostolotion(レンジン・トストローション)、そして最新作のCocomogrof Guerdyvllan(ココモグロフ・ゲルディヴラン)です。

 裏面は今年メインで表に出していたものの代表格たちで、Oxylvet Emulyblue(オキシルベット・エミュリーブルー)、Cilltet Beenuez(チルテット・ベーネス)、Vobiro Vilronigal(フォビロ・ヴァイロニガル)、そしてタイミング的に出せずにいたImagible Quantadass(イマジブル・カンタダス)のB3サイズ4点で構成されており、この4点の額は自身で塗装したものです。


 本題に入ります。15日(金)に行われたライブペイント。この行為自体は「訂正する人生」と銘打っておりました。普段のフォトコラージュとはまるで違うものをアウトプットしたような感じですが、厳密に言えばそうではなく、普段のフォトコラージュ作品が生み出されるまでのプロセスに幾度か通過する感情の炸裂をその場で作品に落とし込んだものになっており、全く別の何かを提示したものではなく、自分のフォトコラージュ作品から受ける「ある印象」を払拭するためのものでした。ある印象とは何か。それはざっくり言ってしまえば「細かさ」で、実際に人前に出た時の自分の挙動と相まって、神経質で部屋でシコシコやってるタイプの人間だという印象を与えてしまい、そうじゃないというニュアンスのことを言っても当の本人があれなのでまるで説得力がない。そうした状況をどうにか払拭する必要があった。それが出来なければ自分はいつまでも同じ位置から動けないままだという危機感が常に自分の中で漂っていた。


 『訂正する人生』という言葉自体はつい最近思いついた言葉で、もし自分が自伝を書くとしたらどんなタイトルになるだろうかと考えたのが発端だ。思えば自分の人生は訂正の連続だ。城台という苗字も、宏典という名前も、最初から正確に読めた人はいない。左利きという事もちょっと自分と他人の中で誤差がある。自分の出身大学を言うと、反射的に芸術学部やデザイン学科なのだと受け取られてしまう事。その他諸々の訂正から入る自己紹介が、自分には憑き物だ。今回のライブペイントはその訂正というキーワードが強い意味合いを持つ。前述した人生の訂正箇所など砂塵の如く、自分には訂正・修正しなければいけない事柄があるからで、それこそが周囲が自分に抱いているイメージであり、それが自業自得な身から出た錆なのは重々承知した上で、ライブペイントという行為に及んだのである。


 ライブペイントという行為は、自分の中で消化しきれていなかった幾つかのものの利害が一致したものだった。神経質で繊細な作業を連想させていたイメージを破壊する事。沸点など皆無そうな感情の起伏の見られない本人の応対という普段では見せていない感情の炸裂の一抹を見せる事。また、その感情の炸裂がフォトコラージュというパソコンを使用した作業ゆえに机から離れて作業を中断して浪費していたエネルギーを直接作品制作につなげる事。フォトコラージュを実際に展示する際、出力という印刷媒体に頼るしかなく、どんなにやっても平坦なものでしかないということと、普段から油彩などの作品にある立体感と、抽象絵画から受け取られる得も知れぬ感情のざわめきを追求したいという衝動。フォトコラージュからは生まれ得ない、フォトコラージュだけでは表現しきれない領域の開拓。そうしたライブペイントを行う事の必然が、ライブペイントをしたいと思うようになってからこれまでの期間、自分の中に集約されていった。




 自分の意志で、もしくは偶発的に今回のライブペイントの情景をご覧頂いた方にしか分からない部分かもしれないが、あの動きがだいたい部屋にいるときの城台さんです。あれが彼の日常に結構頻繁に訪れている。ただ闇雲に暴れるというよりも、耳に入ってくる楽曲の一番肝になる部分に身を委ね、勝手に指揮者的な立場に立って楽曲の一部となって共に展開を昇華する。その場その場でどういった動きが適切なのかを考えながら当たっている。ただ今回、それを鑑賞者と共有できず、ヘッドホン着用という形でやるしかなかったのは致し方ないとは言え、勿体無い気持ちでいる。というのも、ライブペイントをしたいと思い始めた理由の中の一つに、自分の流したい楽曲を流して行為に及ぶという点があり、長い間人と共有できなかった世にある素晴らしい楽曲たちを始まりから終わりまで問答無用で流せる。5分の曲をイヤホン片方だけで10秒ぐらい聴いて、よく分からんと言われ、虚無感と憎悪が渦巻いていた頃が自分にはあり、そういった無関心の地獄から抜け出せる糸口を見つけた気持ちだった。だから今回、楽曲たちは表立って流せなかったけれども、タイムキーパーと称してセットリストを張っておいたし、要所要所で終わった曲は塗りつぶしていった。自分をこんなにしてしまった楽曲たちの中から削ぎ落として削ぎ落として3時間に構築された愛すべき彼らに最大限の敬意を持って臨んだ。あの3時間の中であの楽曲群は光り輝き、祝福と贖罪を振り撒いてくれていたと思う。


 特に下の5曲は冷静さを保ちながらかなり絶妙なテンションにしてくれた。感情の暴発が産み出す衝動の可能性を示唆出来たのではないかと。
UTADAさんのは音源上がってなかったのでライブ映像貼っときます。







 セットリストが3時間だったのでiPodに入れて流す事になったが、結果的によかった。本体が小さいので模擬サウンドシステムを構築して自分の耳に通すということもやれた。Racistsを模したドラゴンフルーツにフォーク、それにシールドを指して福岡のハンドメイドエフェクターメーカーRaizinのオロチ(オーバードライブ)に繋いでステレオの赤・白コードをクラッカー2つに繋いでテープの中にiPodを忍ばせる。これはこれまでの自分というモニュメントというか、今も昔も一切をこのライブペイントによって肯定しようという試みの表れであった。ライブペイントというパフォーマンスの経験値は低いが、これまでの人生を賭して、これまで抑圧されていた己の全てを出そうとした。自分のマイナスを0にする事、そして誰かの潜在的な欲求・空白・欠落を埋めて0やプラスにする事。人はここまでやれる事を証明したかった。「共有」それはこれまで自分が何よりも求めていながら人と行いきれなかった要素。


壁なんて最初から存在しなかった。


お前は所詮蛹の中の幼虫。


破壊衝動は成虫へ成り舞い上がる願いに他ならない。


眼前の障害は扉。


外側へと開くそれは内側には開いてはくれない。


音で誰かに呼びかけるのではなくお前がそこに行け。


 そうして零れ落ちた破片。これまで踏み出す事の出来なかった自分が作り出してしまった幾十にも重なった殻の破片。そこから光が差し込んだ気がした。自分と世界をうやむやにし、隔絶させていたもの。同時に自分を守り続けてくれたもの。憎むべき矮小な枷。しかし何故だか愛おしい。傷跡だらけなのに虚勢を張った煌びやかさは、見下ろしたこの星の有様の如く、即席に生かされる我々の錆びた臓物の如く。それが、我々社会がこの惑星の中で永らえる為に選択した事の結果だとしても、紡がれてきた正が全ての理想と異なっていたとしても、未来へと進んできたこの軌跡の痕を少しでも癒そうという気持ちになれたなら。









 久々のクソポエムでしたが脱線はしてません。大方生まれ出でたものはそういう事が内包されております。パッと見の印象が上空写真的である事、近付いてみれば錆びた臓物の様である事、秘境にて採掘された壁であってもいいし、解釈は鑑賞者に委ねます。このライブペイントは過程に重きを置いている側面が強く、上記の内容はもしも作品と対峙した時にちんぷんかんぷんだった時の一助となればいいなと思います。そう思ってもいいし、そう思わなくてもいい。製作工程は木材に絵の具を直接塗って紙粘土を練りこむというか、盛り込みます。そこからまた絵の具を直接塗ったり混ぜたりして、ラメ絵の具やマニキュアを散りばめる感じです。


 今回の様なライブペイントですが、積極的に活動の中に組み込んでいくのは抑えようと思います。イベントに出た際、何か出来そうな時にやりたいなと思っています。ただ今回出来上がった成果物は次のアクションに取り入れようと思っています。その次のアクションに専念するため、ライブペイント自体は自ら進んでやるのではなく、お誘いがあればそれはもう本気出してやる感じのもので行きます。暫くはまたコラージュ作品の制作に集中します。


 見てくれたみんな本当にありがとう。写真撮ってくれた人、今度使わせて頂きます。一緒にやってくれたYUHさん。隣見たらだいたいいなかったYUHさん。この人じゃなかったら今回の自分の構想がただの妨害行為・迷惑行為でしかなかった。絵の具ぶっ放してごめんよ。本当にありがとう。天神ラボ・福岡パルコスタッフの皆様、実力未知数の自分にこの様な機会を与えて頂き、ありがとうございました。準備手伝えずにごめんなさい。マットに絵の具飛ばしてごめんなさい。パネルの壁紙剥いでしまってごめんなさい。パルコのコンセプトにそぐわない内容でごめんなさい。搬出の時もっとちゃんと言えばよかった。もっと頭を下げればよかった。この17日間は本当に意味のあるものになった。去年手をこまねいて応募できずに後悔したあの時から1年経って、こんなに満たされた思いにしてくれた全ての人に感謝。感謝しても仕切れないけれど、この大恩を返すには死に物狂いで高みに昇るしかない。ありがとう。ありがとうございます。有り難う御座いました。





 さて、サウンドシステムで使用したドラゴンフルーツをスタッフが今から一人で美味しくいただきます。