開催から10日以上が経過しました。遅くなりましたが、鹿児島にて行われた「ストリート美術館とアートな工房めぐり」について書きたいと思います。今回は2日間開催という事で、初日はパネル2枚を使って普通に展示をしてました。表はRacists、Vobiro Vilronigal、Myste Sartallia、Cilltet Beenuezの4点。裏面はAlbino Morning Dreamで、6月のアートマで展示した75cm x 150cmのパネルを裁断して個人的に気に入っている部分を抽出したものを展示しました。輸送の関係でカットしたというのもありますが。告知用の画像がAlbino Morning Dreamだったのでどうにか持っていきたいということもあり、こうした形になりました。別でジークレー印刷しているので裁断に一切の躊躇は無かった。




 2日目は展示物を片方にまとめて1枚をライブペイント用にしました。一応、描く用の用紙は手に入ったのですが、パネルに直接描いていいという許可を頂いたので両面直接挑みました。構想・展開はその都度あったのですが、違う方向に行きました。体裁を整えたものよりも本当にその場のテンションを大事にしようと。


 時間にして約100分です。もっと長くやっていたかったんですが、画材不足とその場のノリで一気に画面を埋めてしまったために早々終わってしまいました。。ラメ絵の具が手に入らなかったのでマニキュアが間に合わない部分はアルミホイルやクリスマス用のリースで代用しました。


 画面を埋めてしまった原因はこの曲なんですが、天神ラボの時もこの曲で構成が狂った。バーストさせてくれるのは良いが、させすぎるという難点がある。実質1曲目。本来はもっと絵の具の混ざり具合を楽しむつもりなのだが、最初のサビでつい手が出てしまう。この曲に対してあの動きは正解ではあるけれども、曲の配置場所も序盤で間違いない。これはもう性です。


 先に裏面の話しをします。変に形になっているのですが、Albino Morning Dreamに寄せて白くしたとかではありません。表を描いていて途中から絵の具がなくならない内にやったものです。こっちはだいたい20分で描きました。曲はこの2曲。




 表面は最終的に各ポジションの色を固めて中間地点でうまく混ぜるという構成にしようとした結果、こうなりました。時間が経ってしまっていて当時の心境とかはあまり思い出せません。とにかく絵の具を使い切る努力をしていた気がします。



 良い物を作ろうという感覚はあまり無かったように思います。あの場で思い立って自分から動くそれ自体が重要だったし、天神ラボ時の4倍のスペースをありあわせのもので御しきる技量は自分にはないと早々に判断していた。もっとやれる。もっとやりたいと思う感情をその場で表す事が自分には必要だった。それがこれまで決定的に人と比べた時に足りなかったもの。やらなかった、やる必要が無かったのではなく、やりたかったけれどやった後のことを考えて踏み止まっていた。自分には時間がない。始めるのも遅かったし、段々許される時間もなくなってきてると感じている。とにかく足掻くしかない。自分の立ち位置を考えて行動している場合ではない。出来る事はなんでもする。これまで立ち位置を気にし過ぎて遠慮してきた。可能性は占有されていく。建前を考慮に入れていたら置いていかれる。これは戦いだ。いつもそう思っていたけど、あまり表面上はそれを出さないようにしていた。遠慮と建前が枷になっていた。こうあるべきなんてものは打ち砕かれる。


 今回、鹿児島という地・商店街という場所での展示に参加し終えた後、考えを巡らせた。その時以前考えていた事を色々と思い出した。漠然と商店街の空き店舗とかで個展をしてみたいと考えていた事があり、Utopian Dystopiaを制作中のときだったか、そのときの心情や内容と合っていたのであれやこれやと妄想していた。自分の強みは何かって事をよく考える。何を大事にしてやっていくのかを。自分にとってそれは全体のコンセプトやストーリーだと思っていて、前回の分でも少し書いたけれども、コラージュの細かさというのはあまり自分の強みだとは思っていなくて、本来、自分のコラージュで強みだと思われている切抜きや色味なんていうのは全体で構成されるコンセプトやテーマをより強固にするためのものであった。今のプロフィール文はコラージュの事しか書いてないけれども、それは入り口であって、そこから全体を通して言わんとしている事を汲み取ってもらいたいという思いがあった。創作活動を始めたのは2006年。楽曲製作とアルバム制作が主な作業だった。出来た曲をまとめるのではなく、アルバムのコンセプトとストーリーがあってそれに沿った楽曲を作っていく。初めた当初からそうあるべきだと思っていたし、みんなそうやっているんだと思っていた。それを4年間続けた。その中でコンセプト先行の制作が身体に染み付いた。まぁそんな事もあり、人によっては面倒に思う一つ一つに対してどうあるべきかについて無駄に考えるようになってしまった。個展というのはただ見てもらうだけのものであって欲しくないし、何か相乗効果を生み出したいといつも思っていた。その商店街の空き店舗で個展をしたいという案は結構面白そうだと感じながら、同時に自分の集客力の無さとあれやこれややりたいという考えといざ動こうと思ってもなかなか最初の一歩が踏み出せない自分の性格のせいもあって風化していった。


 上記のような事を考えていた時期があり、商店街というキーワードは自分の中でなんとなく持っていた。昨今はシャッター街なんて言葉もあるけれど、大型商業施設に食われてしまっているという状況。それは双方の役割や意味が一般に浸透していないからではないかと思っている。自分の事になるけれども、去年まではとにかく出展できる機会があればどこでも出展していた。海外だろうが東京だろうが。ただ個展とかになると輸送や予算の関係上、福岡でしていた。色々と動いて数はこなしていたけれども、いざ福岡で個展をしても「お前は誰だ」状態になっていた。みんながみんな同じ場所にアンテナを張っているわけでない。県外に出展する際、だいたい作品だけが現地に行って、本人はそこにはいない。グループ展とかになると、どんなにいいものを出してもどこかその他大勢の枠に入れられるような感覚があった。それで今年は福岡内での出店に重点を置いて活動してきた。あまりないと思っていたけれど、いざ福岡に目を向けると色々と出展できた。人伝で展示の誘いを頂く事もあった。去年までは無かった事。ローカルの重要性を実感した年だったとも言える。商店街の話に戻るけれども、自分はアミュのアートマだったり、今年は天神ラボでパルコで出展しているけれども、地場あってこそだと思っている。その土地にどれだけの敬意を持って接し、代表といったら語弊があるが一つの大きなくくりの中にいさせてもらっている。


 商店街という場所はその土地柄を形成し、確立させ続けていくべき場所だと思っている。それに対し大型商業施設の役割はその情報を発信していく事。個々人が経営する商店街が外に情報を発信しても引っ掛かる事はないだろうけど、ネームバリューのある大企業が発信すれば結果は違う。鹿児島に新幹線が開通した時、焼酎が全国的にブームになった。自分は酒飲まないので傍観者だったけれども、そのブームに火をつけた立役者は実際どこかは知らないけれど個人レベルの所ではないのは確かで、地方と全国をつなぐパイプ役を担うには絶好の存在なのだと感じた。


 大企業が力を増し、地方の個人経営の店舗が力を失くしていく。その土地の経済力にもよるけれども、地方主体で動く個人経営側の文化形成と、それを発信していく大手という構造が元来望ましいのではないかと思う。地方の魅力を発信し、また全国的スタンダードな製品・サービスの提供。双方によるこのギブアンドテイクが順調に循環すればそれはもう素晴らしい世界。しかしそうはなっていないのが現状。人々があまりにもスタンダードを追い求めた結果ともいえるし、大企業の維持・存続という目的が先行されてきた結果ともいえる。人々は長いものに巻かれていった。特色を失い、個を隠し、迎合した結果がこれか。みな都会に憧れる。田舎者がこぞって都会に群がって躍進と淘汰を繰り返して形成された都会。過程をすっ飛ばして成功だけにあやかろうなど虫のいい話し。原点はどこにあるのかを探り、特色と個を持って挑めよ乙女。


 詳述するとかなりネガティブな内容となってしまいましたので、大幅に削除・割愛しました。まとめると、自分は鹿児島出身福岡在住の作家としてやっていきたいと強く思ったということ。東京に発信していくにしても海外に発信するにしても、しっかり地に足つけてやらなければならない。ただそこに住んでいるだけの意味合いで福岡を出すわけには行かない。そこで活動して根付いた人間として出て行かなければならない。これからも出していくけど、去年までの影響力の強そうな場所を狙って出展するんではなくて、自分自身にその力を身に付けないといけない訳です。やりたい事、やれる事はやっていく。導いてもらうだけじゃなくて、人を導ける人間になりたい。相乗効果を生み出したい。



 これまで自分の活動を見守ってくれている皆様、今回初めて出会った皆様、こんな私ですがどうぞご愛好賜り続けて下さいます様、よろしくお願いします。