冬のある日、アリ達の巣に訪問者が訪れるところまでは、あえてここで語る事でもあるまい。
 「アリさん、何か食べ物を恵んで下さいませんか。」
 今にも死にそうな凍結寸前のキリギリスが弱々しい声が辛うじて放ち、一番近くに阿多一匹のアリの聴覚器官を微力ながら反応させた。
 「アリさんって、貴方。私達の誰に向かって言っているのですか。」
 キリギリスはかなりキョドリましたが、表面には出ませんでした。
 「え、あの、えーと」
 「キリギリスさん。貴方、夏の間我々をあれだけ会話をして、尚且つ煽っておいて、私達の誰一人として名前も知らないなんて事は言わないですよね。」
 キリギリスは今年の夏、猛暑の中を行列を成しながら労働に勤しんでいたアリ達の事を、『アリさん達』と総称していた。実際のところ名前を覚えたところで、目の前のアリ達を眺めても、それぞれの個体差を認識出来なかった。
 「それよりいつまで扉を開けたままにしているんですか。寒いですよ。我々は虫ですよ。死にますよ。貴方は我々を死滅させる為にやって来たのですか。」
 「あ、ごめんなさい。」
 来たのは間違いだったのかもしれないと、とうに後悔していたキリギリスはゆっくり扉を閉めた。
 「キリギリスさん…。なぜ内側にいるんですか。そのまま帰ってくださいよ。我々はそれを望んでいたのに。察してくださいよ。」
 夏のあの頃に感じた謙った弱々しい非力なアリの姿はどこにもなく、季節の逆転とともに、アリとキリギリスの立場もまた逆転していた。俯いたまま放つ言葉も声も失ったキリギリスは、震える足で身体を支えることが精一杯で、ただ黙ってアリの言葉を聞き続けていた。
 「言っておきますけど、貴方に食べ物を恵むつもりは毛頭ありませんよ。夏にあれだけ我々を罵倒しておいて、あの時我々がどれだけ労働意欲を削がれたか、貴方に分かりますか。」

 「…お願いです。」
 少しの沈黙の後、最初の声よりも小さな声でキリギリスは地面に向かって懇願した。それがアリの聴覚器官に届いたのかは分からないが、すかさず猛攻を仕掛けた。
 「何を言っているんですか。いいですか。私としては、今ここで貴方には息絶えてもらいたいんですよ。彼等も同意見でしょう。夏の作業をもっと迅速に効率的に行うには、貴方が我々の邪魔をしないことだというのは明白です。ここにいる者達に聞いてみましょうか。」
 そうして問う前に、キリギリスと相対しているアリの後ろから、とてつもない音の洪水が鳴り響いていた。それが歓声なのは明白だった。そして明らかにキリギリスに向かって容赦ない罵声が飛び交う。恐れをなしたキリギリスは後ずさりするようにして、後ろの扉をゆっくり開けて、吹雪の中にその身を晒した。



後日談
 タンポポが黄色い花をつけ、やがて綿帽子になり、風に身を任せて青空に飛び立つ頃、川の水は溶け、熊も蛙も眠りから目覚めて辺りを歩き回りだした頃、例のアリ達は巣の中でなにやら騒いでいた。それは歓声ではなく、罵声でもなく、悲鳴に似た声だった。冬に追い出されたキリギリスは、外に出された後、放心状態のまま動けずに扉の前で倒れんでしまった。思考は停止し、無意識のまま、そのまま眠りに落ちた。倒れたキリギリスは扉にもたれ掛かり、息をするのをやめた。アリ達は叫び、扉の前で密集している。キリギリスの重さで扉が開かないのだ。アリの巣は穴の下にあり、キリギリスは扉の上に。