いつから「萌え」と「ドヤ顔」は自己申告になったのだろうか。前者は、愛を超える言葉として出てきたもので、砂だろうが、錆だろうが、本人の趣向に合致していれば、別に何でもいいはずなのだが。どうして対象が限定されてしまったのか。後者に関しては、指摘されるものではなかったのか。中傷の意味が込められたものだったのに。