城台 宏典という人生の最終目標
昨日を持ちまして、福岡天神パークサイドギャラリーでのIMAZIN展が終了しました。お越し下さいました皆様、ありがとうございました。
さて今回ですが、ライブペインターとしての展示でした。
と言っても今回展示したものはライブペインターどころかグラフィックデザイナー城台でもないポンコツ時代に作り上げたものでした。
細々とでも何か自分の中で納得のいくものを残し続けていくという、生きた痕跡の記録でした。
そんな進歩から程遠い意識の中で生み出されたものがまともなクオリティを保っているかといえばそうではなくて、ことごとくボツにしていきました。
その中で唯一納得のいく出来になったものがありました。今回展示したものはそれです。
なぜこれを展示しようと思ったのか。これを掘り下げても面白いものは出て来ません。出せるものがこれしかなかったんです。
足元の石を投げるしかなかったんです。
もとより足元の石であるから、その周辺の小石や砂や落ち葉と同等です。
ライブペインターという、生で作品を生み出す役割や肩書きを担いながら、その成果物が手元にない。やる事は足掻く事。
そしていざ展示しようと考えたら最適解が思いつきました。やりたいと思っていた事。それも投影できました。
草花はメタルギアソリッドよろしく現地調達です。道中のものもありますが、全然足りなかったので隣の警固公園から採取してきました。
これをやっている時に思った事がありまして、普段目にしながらも何気なく通り過ぎていく情景。それを強制的に刈り取って凝視する機会に当てはめてみた時、どんな感情変化が起こるのだろう。
また自生しているものを、特定の目的の為に刈り取り、特定の美意識の為に削られ失われる命を凝視するという、言語化した際に感じる不謹慎さと不愉快さ。
さらには、そもそも植物の命は何処に宿るのかという疑問。根っこから引き抜いてしまえば全部だけれど、枝を折っても植物そのものは死なない。
残酷さ、ひいては暴力的の「的」とはなんなのかに対する疑問が無意識に具現化したように感じた。そんな客観視ができる。
または生命は有限の時間の中で枯れ果て朽ちていく故に、生きた痕跡を伝えよう遺そうとする過去の自分との対峙、または過去の自分の願望・羨望・希望。
葬送
醜い過去への弔い
未来に邁進するための墓標
という意味合いを持たせた、というよりもそういう印象を持った。曲がりなりにも作者なので、これはすべて計画通り。自分のものです。
膨らみ続けるアイデアや解釈は人の数だけある。それでいい。
上記の内容を強制する事はありません。
皆さんがどう思ったか、その感情をどうするのかはあなた次第です。
あと実はオフィシャルサイトを更新していました。展示スペースに唯一の宣伝臭「QRコード」これを読み込んだら普通にオフィシャルサイトに飛べます。飛んだ先がこんな感じになっていました。
以前パークサイドギャラリーで展示した際、場所の都合上どうしてもこちらに反応がなかったので、それを可視化するにはどうすれば良いかを考えた結果でした。
ゲリラでやったんですが、最初一度撤去されました。思いついた瞬間やったのであるものでやったら見た目汚すぎたんですね。
次にジップロックにステッカーを入れて輪ゴムで留めてました。
こうやって少しずつでもルールの網目を潜りながらやっていく必要があります。そして検証と修正を続けなければなりません。それが実績です。
もちろんルールは破ってなんぼではなく、しっかりと影響を考慮してやる必要はあります。
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ところ変わりまして、前回のブログの最後にありました「城台 宏典という人生の最終目標」について書かせて頂きます。
これはつい先月決定したものです。めちゃくちゃやりたい。でもほぼほぼ不可能に近い案件なので人生を懸ける事にしました。城台の人生の最終目標...
ルイ・ヴィトンとコラボする‼️
です。
あのルイ・ヴィトンです。
https://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/homepage
まずこの決意表明が伊達や酔狂で言った一過性のものではない事を証明するために、昨日、IMAZINの搬出の間に満を持して挑んで参りました。
はい。
ブレスレットを購入して参りました‼️
このブログを読んで頂いている方はすぐに反応してもらえると思います。
お前ん家電気停まったんじゃないの⁉️
はい。
電気は停まったままです。
しかしご安心下さい。電気代を払う目処は立っています。もう数日で復旧します。
それよりもやらなければならない事があります。今この瞬間でしか生まれない感情がある。だからやった。
ルイ・ヴィトンは商品のための店舗レイアウトやその他すべての点が行き届いており、実際、ルイ・ヴィトン店舗で商品を買うという体験そのものがスペクタクルでした。
店舗レイアウトを観察していた際に群を抜いていた場所がありました。ルイ・ヴィトンです。城台がブースレイアウトに熱を入れ始めたときの最大のインスピレーション源でした。
ここで勘違いして欲しくない点として、「ルイ・ヴィトンになろうとしていない」を理解しておいてほしいです。
ルイ・ヴィトンは既に最強の存在です。それ自体を目指しても意味がない。
ルイ・ヴィトンが持っていない、ルイ・ヴィトンが取り入れたいと思う存在になる、という事。
ルイ・ヴィトンは確固たるブランドイメージがある。誰もが頭に浮かべるイメージがある。
https://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/products/sarah-wallet-monogram-007824
しかしそれとは別に、全く予想外の要素とコラボする懐の深さがある。
https://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/products/superstition-square-nvprod1320154v
ブタかわいい( ´∀`)
圧倒されたよね。
何より、これまで別世界だと思っていました。
自分とは関係のない世界だと思っていました。
しかし決して関係のない世界ではないのです。
絵画の原画を10万円で販売したとして、その価値をどう示せるかをずっと考えていました。
よく「原画は1点物だからねぇ」という訳の分からない理屈を言われます。
例えば原画を1枚10万円で販売したとして、それを見たお客さんはどんな考えを巡らせるか。
「10万円あったら他に何ができるかな」
10万円あったら家族で旅行に行ける、高級レストランで一度は食事、くたびれた家電や家具を買い換えられる、子どもの学費、ローンの支払い...
高級ブランドの財布が買える⁉️
そう、決して大きくはないが、日本家屋の壁に飾るには充分大き過ぎる絵画を買う事と、高級ブランドの商品を買う事は同じ天秤にかけられている。
絵画を買うという文化が薄い日本において、この現在の社会情勢に対して、作家として食っていくという概念があまりにも牧歌的過ぎる。
絵画が売れないのには明確な理由がある。この外的要因に向き合わなければならない。
それを吹っ飛ばして「絵画が売れる」という奇跡で絵画が1枚3億円で売れるならやればいい。
しかしそんな訳にはいかない。その大変な奇跡によって得られる対価は知れている。そこからギャラリーの手数料と原価を引いてしまったら何も残らない。
最高の作品を作り続けるという、逃れようのない使命に駆られて自己とのみ向き合い続けてバタバタと作家が死んでいく。当たり前だ。当たり前過ぎる。
この既存の概念は敗者や戦わない者たちによって形成されている。なんでこんな無理ゲーサバイバルを続けているのか、続けさせているのか。
無知とは最も残酷な凶器に成り得る。
ルイ・ヴィトンとコラボする。これに似たというか近い事を数年前に豪語した人がいました。
ディズニーを倒す
キングコングの西野さんです。今ではそうでもないが、これは当時だいぶバッシングと嘲笑の的になったようだ。
しかし考えてみよう。ディズニーってみんな知ってるじゃん。みんな大好きじゃん。みんなディズニーランドでめっちゃお金使うじゃん。出す価値あるじゃん。
なのに一方、ディズニーグッズはダイソーやセリアといった100円ショップでコーナーを単独で有している。
これってすごい事で、100円ショップで買えるブランドなのに、みんなディズニーランドに映画にと、喜んでお金を出す。安心のブランドによって価値変動が起ころうと誰も文句は言わない。さすがディズニーである。
そう。誰もが知っていて間違いないディズニーというブランドが100円で手に入る世界。そこと対峙しなければならないのはすべての創作人の宿命だ。ディズニーを倒す。それぐらいの気負いでないと前には進めない。
話しを戻します。
ルイ・ヴィトンとコラボする。
まずはそれを言っている人である事を定着させます。
昨日購入したブラスレットですが、常に身につけます。ライブペイントの時も同様です。外しません。
必然的に汚れます。
傷物になります。
市場価値はゼロ円になります。
それでいいんです。それを「城台が身につけている、ライブペイントで無意識下で着色された一品」としていつか本来の価値の100倍にする。それを当面の目標にします。
ちなみに価格は税込27,000円でした。
もちろん、そうなったからと言って売りませんけどね。
そしてその最初の舞台がゴールデンウィーク真っ只中の5月2日「MJ展@博多マルイ」です。
乞うご期待‼️
宿命を向かう先のコンパスにし、流される運命を捨てよ
恩師の墓がある故郷の丘の上で決意表明をするRPGの主人公感のある写真。
Isyir a.k.a.
Shatterglass Destiny...