復活の狼煙〜3年振りの更新〜

 皆様ご無沙汰しております。紛れもなく私です。城台 宏典です。ジョウダイコウスケです。3年以上の沈黙を破り帰って参りました。何の予告もなく消息を絶ってしまったことをお詫び申し上げます。制作と創作、及び発表の場から遠ざかっておりました。


 去年から少しずつこの場に戻ってくるような準備を整えてきました。自分の勘を取り戻しながら、アイデンティティを思い出しながら、あの時どうすべきだったのか、これからどうすべきなのかを精査しながら想いに耽るだけ耽りました。


 そして去年の始め頃から、自分がGlow Defective Soldierを立ち上げた当初に行っていた楽曲制作という表現に立ち返りました。最初はノイズ・アンビエントや映画のスコアのようなBGMの要素の強いものを作っていました。当初はそれで「ダブルEP」と銘打ち、"Red strings White strings"というタイトルの12曲入りのCDを作る計画がありました。マイペースでラフなものをライフワークとして永続的に続けていけるものをやっていこうとしていました。毎年1年に1枚EPもしくはアルバムを作り、自分を振り返るもしくは軌跡を遺そうという想いがありました。


 そのダブルEPが完成するかしないかのタイミングで、ある曲が不意に出来上がりました。それをきっかけとして「マイペースでラフなものをライフワークとして永続的に続けていけるもの」という惰性で増え続けるディスコグラフィに何の意味も感じられなくなりました。本当に産む価値のあるものだけを、世に存在価値を問い、発信する価値のあるものを出さなければならない。そう心が回帰したのをきっかけにして、これまで内に封印していた創作人としての自覚を再認識するとともに、産みだし、発信すべきものが何かが見る見るうちに形になっていきました。


 このブログをどうしようかとずっと考えていました。これまでの活動の記録が全て収まっているので消すわけにもいかず、本格的な活動の再開とその狼煙でもってこのブログを再開しようと決め、下火で密かに活動を再開しながらもこのブログは更新せずにいました。外界とのコミュニケーションはほぼインスタグラムでのみ行っていました。



そして2018年10月、ようやくこのブログが再び更新される時が来たのであります。



活動締結から本格再始動までに行った活動は以下のとおりです。



2018年1月4日、エクスペリメンタル・ダンサブル・ノイズEP"Mahoramatic Non-fiction"リリース。

 昨年初頭より始めた楽曲制作は思わぬきっかけから本格的なコンセプトを持って動き始める。ダンスミュージックを基調としながら、リードノイズという手法(自称)を用い、リードシンセ、リードドラム、リードノイズの3本柱で「全トラック=全プレイヤー」という音のぶつかり合いで楽曲が形作られる新感覚マジリアル・エレクトロ・ミュージックの世界が誕生する(以前はミュージックという言葉や世界観という言葉を嫌悪していた城台さんがそれを積極的に使うようになった。少しは視野が広がった証拠である)。


2018年8月7日、続くEP第2弾"Dramasochistic Bon-voyage"リリース。

 Mahoramatic Non-fictionは当初6曲構成であったが、とある事情で3曲にまで内容を圧縮。その過程で漏れてしまった楽曲2曲を再度1から作り直してリボーンした内容。なぜこのような形でリリースする事になったのか、それは次回のブログ更新で全てを書きます。今回は活動再開とこれまでの活動を簡単におさらいするところまでに留めたいので。必ず書きます。


インスタグラム上にて誰も聞いてないのに突如、5枚のEPをリリースし、その後重要な曲を抜粋して3rdアルバムを作ると豪語。
 このブログを読んでいるあなたが昔このブログを読んでいたと仮定して、覚えているだろうか。城台 宏典はこれまで2枚のアルバムを発表し、その後グラフィックデザイナーを名乗りながらフォトコラージュ作品を発表しながら、影で3rdアルバムを作ろうとしていた事を。結局表の活動と両立が出来ずに頓挫してしまったその計画。城台の脳裏にはこびり付き焦げ付き、これまでずっと幾度も構想の変化を繰り返しながらも残り続けていた事を。そうして今回、ようやく満を持してそれを形に出来るところまで持ってきた。上記で書いた「これまで内に封印していた創作人としての自覚を再認識するとともに、産みだし、発信すべきもの」が表現された至極の1枚。世に問うべき、城台 宏典という男が、この生物史上において生を受けた原罪に対する贖罪として、さらにその後の展望までも記す超大作。完全なる自己満足。しかし全ての意思決定は自己満足の度合いの高さが力の度合いを決定すると言っても過言ではない、というのが私の持論です。自分がOKだとしないものに意思決定の未来を委ねるとは何たる事だといわんばかりな。この事ばかり書いてもしょうがないので割愛。これは自分にとって一世一代のウェポンになる予感しかしていない。


5枚のEPのタイトルは既に決定していて、それを公表。
 2枚のEPが発表され、それが5枚目まで続くとお伝えし、そのタイトルもこの時点で公表しました。
・Mahoramatic Non-fiction
・Dramasochistic Bon-voyage
・AIDMAtic live Rain-bow
・Garapagositic Lupin-key
・Bugfarewelltic Sun-Rises
 短期間にジワジワ・ドカンとアイデアが沸いてきて、「これだッ」てな事でこれをやっちまおうと。個人的に結構いいアイデアだったので、あまり変動はしないだろうなと踏んで今後のリリース計画を公表しました。公表した理由はもう一つあって下記がそれです。



stores.jpにて上記EPのCDを無料配布する事を決定。そして既に実行済みにして絶賛配布中。
 これまで活動を締結していた事、突如表舞台から姿を消した事の非礼を詫びる意を込めるとともに、これからよろしくお願いしますの狼煙、さらに最終的に3rdアルバムをリリースするまでの道程をより多くの人と共有したいという想いにより、CDの無料配布を実施。同時に音源はbandcampにて全てフリーダウンロード出来る状態にしている。さらにこれらの楽曲はずべて著作権をほぼ放置(一応完全に放棄とはいわない)している。それらをどんな風にリミックスしてもいいし、ましてや「これ俺の作った曲www」と言ってもOK。とにかく広まってくれるなら何でもあり。お咎めなし。さぁ、共に往こうぞ。


イクヨーヽ(*´・∀・)=C(´・ω・`)…..ズルズル



https://glowdefectivesoldier.stores.jp/items/5b9cfb1c5f78662ba8000252


Youtubeにて2枚のEPの試聴動画を投稿。
 存在を忘れられていたかに思われたGlow Defective SoldierのYoutubeアカウントも再始動。インスタグラムやツイッターなどのSNSっていうのはROM専の人はいるものの、アカウントを持っているという前提で利用されているという分析というか雰囲気を感じ取ったので、「ここやッ」ということでアップしました。
 Youtubeってアカウント持ってなくても観れるというか、他のネットサービス各種などと比較しても優れている点として、映像辞典的な側面が強いなぁと。映像を発信する人、「こんな映像あるよ」と仲介人になる人、なんの制約もない世界が誕生し、見過ごされそうなものから過度なものまで、当人たちの選択次第で情報の共有は無限大となった。この素晴らしき世界。


 ただ一つ問題があるとしたら、自分のこの発想が12〜3年遅れているという事。穴は埋めなければならない。埋めるだけの詰め物はあるか?


 なければ一緒に埋めよう。とにかく広まってくれるなら何でもあり。お咎めなし。さぁ、共に往こうぞ。多分まだ遅くはない。


イクヨーヽ(*´・∀・)=C(´・ω・`)…..ズルズル





新しいアー写を撮る。HPをちょっとリニューアル。

 今回の活動再開を機にちゃんとアー写を撮り直そうと思い、新しいアー写を撮りました。各SNSにてロゴだけではどこの何者なのかが全く掴めないのと、そんな不透明な状態で一体誰が自分を信じてくれるだろうかと考え、それなりに見苦しくない形で自分の姿をちゃんと提示しました。色々なテイクの中でカメラ目線をチョイスしました。一応ブランドロゴは必要だと思ったのでTシャツにして着る事にしました。これの販売は今のところ予定しておりません。
 オフィシャルサイトを少しだけいじりました。大きくデザインを変えたりはしていません。ただ今推したいものが見えるようにしました。


今後の"Glow Defective Soldier"の活動
 これはそのまま城台 宏典が何者なのかに直結する問題です。グラフィックデザイナーという基本ポジションは変わりません。フォトコラージュアーティストという側面は手法としての言葉は残したままでもいいのですが、肩書きとしては残す必要はないのかなと思っています。

 以前のように作品をジークレープリントして額装するという発表方法は、作品そのものをよりよく見せたいという作者のエゴだったと振り返って後悔した要因の一つです。

 本音では作品のプロダクト化がしたかったのだと常々心にありまして、産みの親として最低限の義務のつもりでしたが、より良く見せようと過剰にアートとしての側面を打ち出しすぎていたなと。本来、CDジャケットなどの媒体で自分の作るものを活かしたいとフォトコラージュ作品を作っていたのですが、作品を額装するとアート然として、そのまんま伝わってしまうものだそうです。

 今回のEP連続リリースにはその意向が反映されています。グラフィックデザイン、フォトコラージュの能力はジャケットアートワークに全て注ぎ込みました。これ以上の発展はありません。収録された音源に対し、全体のコンセプトに対し、それらをまとめ上げるビジュアルを提示する。すごい事でもなんでもなく、ただ普通にそうしたかっただけなのに、進む道がずれてしまった。そんな過去を軌道修正しなければならない。展示会でただ作ることの喜びを共有しようなんて無駄な時間は二度と過ごさない。作ることは当たり前だし、それを「すごいね〜」なんてアーティストを高く評価しているようで、その実、現実の蚊帳から追い出された腫れ物扱いはもう沢山なのだ。それが嫌で表舞台に顔を出し始めた2011年からの活動。何も分からなかったが故に色々な人の意見に自分の舵を見失った過去。そこから決別し、もう一度一から本来進みたかった道を歩む。

 やるべき事をやる。音を鳴らす。展開を構築する。コンセプトを打ち立てる。アートワークを生み出す。それが何かを文章にしたためる。その全てが自分。それらをとことん突き抜けてやりきる。何が出来る人なのか、何が得意な人なのか、その人が一番響いたものがご縁であればそれでいいと思うんです。



 次回は"Mahoramatic Non-fiction"と"Dramasochistic Bon-voyage"のコンセプトをしっかり語ろうと思います。そのコンセプトを理解して下さいではなく、「これをモチベーションにしたらこんな作品が出来ました」という裏話し的な感じで読んでもらえたらいいなと思います。




ではまた
ε(*´・∀・`)з゙βуёβуё”ε(´・∀・`*)з