今年を締め括る催事、出張販売所『Glow Defective Soldier presents 心づくし』が無事終了致しました。ご来場頂いた皆様本当にありがとうございました。下に会場の展示模様を貼っております。まずはそれを。その後にこの催事が何だったのかを書き留めております。長くなりますが是非ご一読願います。


原画群と作品集・グッズゾーン。


紙粘土シリーズ接写。


挨拶文と布プリントしたコラージュグラフィック。

ライブペイントの養生を背景にしたフォトコラージュのザクサ、ケルテスの2点。A1サイズでジークレープリント。



布プリントは上半分だけ固定しており、下からめくると...

ちょくちょくストックしておいたリリックが解放されている。そのほんの一部のみを。






最終日の最後の最後でこのB4サイズ原画が旅立っていきました。

コラージュ作品のオーダーサイズで受注頂いたミステサルタリアのB4サイズです。無事納品しました。


 さて本題です。今回のタイトルでもある「心づくし」これは出張販売所という体での催事という事もあり、来場者たるお客様へのという意味合いと共に、「感情で覆い尽くされた空間」という意味を込めた半インスタレーション的な空間演出も試みたものでありました。そもそもは今年発行した作品集の販売を表立って行うことが趣旨でしたが、申し込みから開催までの期間が長く、少しでも何かサプライズのような演出をしてみたいと思うようになり、あれもやりたいこれもやりたいといったことで出来上がったのが今回の展示です。個展と銘打っての開催にはしたくなかった理由には、作品を販売することが第一目的にあったことと、そこから派生した詰め込み式に行った余剰物でもって個展以上の濃度を出したかったことの大きく2つがあります。


 個展という形式で作品を発表するという仰々しいやり方には面白みを得られなくなってきた事と、いわゆる美術作品の値付けに違和感を感じていた事。今回販売した原画の多くは1枚3000円。これも当初の構想から幾度かの変更を経て弾き出された値段で、個人的には一般家庭に置いてもらいたいという意図がある。何十万、何百万円もする絵画の価値の本質はどこにあるのかと考えたところで、ネームバリューがその多くを占めており、作者の手を離れた作品そのものの価値から算出された価値ではないのではないか。


 フォトコラージュ作品を制作していて思うことは常に手元の写真は自分で撮影したものではあるが、それは自分のオリジナルと胸を張って言えるのかという事。目の前の事象・現象は自然の力で出来上がったもの、誰かが人と手を取り合って生み出した産物。その瞬間その場所に立ってシャッターを押したのがたとえ自分だけであったとしても、そのカメラは自分で作ったものではなくて、遠くの誰かが作り上げたもの。それが流通に乗って今手元にある。それは対価を払って手に入れた。それを手にするためにした仕事。この時点で人々に社会に地球に生かされているただの有機物たる自分にあるオリジナリティとは何か。たとえオリジナリティがあるとして、それに一体どれだけの価値があるだろうか。


 自分のペインティング原画においては最早オリジナリティはないと思っている。既存の手段を使っているに過ぎない。しかし同じようにやっても同じものが出来る事は決してない。行為に伴う精神状態は常に違う。そうしたコンディションの中で多彩な作品は生み出されていく。自分のペインティングは可能性の探求なのではないかと把握している。その中で納得のいく作品はほんの一部。今回の催事で表に出てこれたのはこれまでやってきたものの10分の1程度。その他は2軍として自宅で眠っているか、もう既にこの世にはない。そうした作品が1点3000円で販売される。ギリギリの値段。絵を描いて生きていく事を自分に課していく。しかし絵だけで生きていく事はしない。フォトコラージュもこれからもやっていくし、グラフィックデザイナーという正規の肩書きを捨てるつもりは毛頭ない。続けていくだけの資金と交換で作品をお渡ししたいという意志の表れです。作画の技法だとかの能書きを排した得も知れない内包されたエネルギーを見るものに訴え与えたい。どういった思いで作品を作っているのかはその時々のコンディションに左右される、そして残った作品だけが感情の暴発が起こったということの証明であり、解消された思いなどを作品と共に押し付けるつもりはない。個々の作品の表情に鑑賞者それぞれの琴線に触れてもらえればそれでいい。作品と出逢った瞬間の感情が重要で、その時には作者のパーソナリティは既にどうでもいいのだ。作品の意味合いやストーリーは持ち主のものであり、そこから育まれるもの。それが健全なあり方なのだと信じています。


 あまり堅苦しい感じにはしたくないのですが、どうしても固い印象を与えてしまいがちになってしまいます。自分のアクションペインティングを現代アートの中枢にまで轟かせたいという思いはあまりなく、前述したように一般家庭というアートを高い位置にあるという先入観に縛られている人達にもっと親しみやすく、物事はもっとシンプルなものだという事実を伝えていきたいと思っています。そこから広がる可能性は大きいと思います。あと最近はアート作品というしっかりしたカテゴリーで作品を発信しているものよりも、クラフト作品のような日常的に何かしらの役に立ちながら美しさを提供しているものに興味があり、アート作品をアートとして観に行くよりも、そういったものの込められた美しさにアートと評したり感じたりすることが多くなりました。さらに言えば昔はたれぱんだやアフロ犬が好きだったので、最近はくまモンやらのゆるキャラの妙に心くすぐられるようになりました。


 世界中の誰もがモナリザの美しさを理解している。しかし世界中でより愛されているのはミッキーなのではないか。ピカチュウなのではないか。自分の作品は全然ポップではないが、そういった方向を向いて最近は日々勤しんでいる。アート然の追求よりも役割を全うしているものに付随する美に心躍らされる。手の届かないものだから人は憧れを抱く。しかし手に入れた途端色褪せる中で、何故か色褪せない黄金比のような潜在意識を駆り立てる生活の活力剤となり得るものは生み出されるべきではないのか。現代社会に必要なのは、実在するが手に入らないもはや偶像の如くモニュメントではなく、日々に寄り添い静かに力を与える小さくても個々人にしかない支柱ではないだろうか。


 社会の一員として役割を担わせてもらう事、それは存在意義であり、ニーズであり、それを果たして生かされる。それは必要とされているからであり、継続の許可を与えられる事であり、躍進と飛躍の可能性を得られる。それをつなぐものが金銭であり、金銭はニーズの数値的尺度であり、それで生活可能か否か、継続可能か否かが測れる。金銭によって物と物の物々交換はなくなり、複合的な社会の財・サービスの提供を受ける。1人が一つの役割を果たして社会全体の機能を堪能しながら文化的な社会生活を営む。その理想を形にして継続しているのは我々一人一人なのだという自覚でもって意識ある貢献を持って共有し共存していく。私が示す社会とのあり方、それは人々の暮らしにちょっとした火を灯す。そういった役割を持った作品を提供する事。去年の年末頃から芽生えだした火付け役という役割。その発散と再分配。アクションペインティング原画を手の届く値段で提供する。衝動の代理、思いを託し、可能性への躍進を後押しするほんの小さな灯火。


 長くなりましたが、『Glow Defective Soldier presents 心づくし』の内情を吐露させて頂きました。この半月間にお越し下さいました皆様、気にかけていただいた皆様、本当にありがとうございました。来年以降の出展予定は今のところありません。しかしもちろんのこと、製作が止まる事はないので、また近いうちに皆様の下に顔を出します。そのときはまた是非足をお運び下さい。


 今年はシゲキバアルテ総集編に始まり、ポンキュレの初開催、福岡クリエイティブビジネスセンターのオープン、瞼を透かして見る夜でのしびれハナロス、ART CONQUERS ALL2014、千年夜市での連続ライブペイント、NO!!にて作品掲載、作品集『TERRARIUM CIRCUS Land scape』発刊、J展で初のいわゆるコラージュ作品を制作。きみさんの本当の第一歩『糸島ART音楽堂』、故郷鹿児島でのストリート美術館ライブペイント2ステージ、そして『Glow Defective Soldier presents 心づくし』と駆け抜けてまいりました。全体的にみてライブペイントでの露出が多かった今年。動き出さないと駄目だともがいた2013年がこんな形で結びついていくとは想像もつきませんでした。次はどんな事になっていくのか。全く予想が出来ません。こうしていこうという自分の中での指標はありますが、数年のスパンで見ていきたいのでここではまだ言えませんが、前向きにやっていくしかないのだと思います。
















 一緒に笑った人、対立した人、分かち合えなかった人、傷つけてしまった人、手を取り合えずに終わってしまうのは嫌だなと心から思う人にたくさんで出会った気がします。いつも自分ばかり責めて相手のことはあまり責めていないのだけれど、すれ違う事もあります。思った言葉は適切な言葉は適材適所発せられるものではないけれど、長い目で見て、少しずつでも歩み寄っていけたらいいなと本当に思います。


 また来年。変わり映えのしない日常であろうが、激動の時代の幕開けであろうが踏み出す一歩が日々を彩りより良くなると信じて。今日も明日も明後日も変わらずに、今日より明日が明後日がより良くありますように。